週間国際経済2025(14) No.420 08/06~08/19

今週の時事雑感 08/06~08/19

プーチンに担がれたトランプをヨーロッパが担ぐ

トランプはプーチンのことが好きだ。尊敬している。憧れているといってもいいくらいだ。彼から学ぼうとすらしている。遡れば有名な話2007年、プーチンが米誌タイム恒例の「今年の人」に選ばれたときトランプはプーチンに手紙を送った、「私はあなたの大ファンだ」と。それはまだいい、問題なのは今トランプはウクライナ問題を仲介しようとしているのだが、そのウクライナをロシアが侵攻したときプーチンを「天才だ」と絶賛していたのだ。プーチンはウクライナ東部のドネツク州、ルハンスク州の親ロ勢力による独立を承認し、「平和維持」の要請に応じてという名目で進軍した。これをトランプは「本当に要領がいい」と褒めるばかりか、「われわれも南部国境でそれを使える」と移民対策の参考にしようとしていたのだ。

アラスカでの首脳会談に向かう大統領専用機内でも記者団に、「プーチンは賢いやつだ。我々は仲が良く、お互いを尊敬し合っている。何かが起こるだろう」と語っていたという。つまりすでに主導権をプーチンに渡しているのだ。「何かを起こす」のではなく、「何かが起こる」ことを期待してたのだ。

アラスカ会談の結果、プーチンに寄りすぎたと批判される中、ヨーロッパ首脳との会談に臨んだ。そこでも(BBCによると会場のマイクが会話を拾ったということだが)、トランプはマクロン仏大統領に「(プーチンは)私のために合意をしたいのだろうと思う。分かるかな?クレージーに聞こえるだろうが」と言ったらしい。トランプに対して忖度のないマクロンさんに聞くのだから、率直なところを知りたかったのだろう。ということは、半分以上それを真に受けていたということなのか。

こんなアメリカ大統領が、KGB出身で25年以上国際政治舞台で際どい外交をこなしてきたプーチンがもちかけた「ディール」を受けたのだ。エプスタイン(最近はエプスティーン表記が多い)問題やイラン空爆の賛否などでトランプの支持が揺らいでいるなか、何かで世間の目をそらしたい、トランプのことだからできれば派手な手柄を立てたい、そんなタイミングでプーチンは仕掛けたのだった(たしかに「本当に要領がいい」)。

仕掛けを受けたトランプが、下準備にモスクワに送り込んだのが、なんと毎度のウィットコフ中東担当特使だった。よく知られているように彼はトランプの不動産ビジネス仲間だ。仲がいいし信頼できる。でも、外交素人だ。もっと危ないのは、素人なのに外交と不動産取引を同じように見ていることだ。しかもウィットコフさんを支える、必要なら止めるべき専門官僚の多くはマスクさんが解雇してしまっている。さて、そんなウィットコフさんの願いは何か、もちろんトランプが喜ぶことだろう。

そこでプーチンはそのトランプが喜ぶことをウィットコフさんに提案する。トランプはプーチンとビジネスで組みたいようだから、例えば北極海の利権はどうだろう、グリーンランド買収の手引きも喜びそうだ。なによりこのアメリカの不動産コンビに「領土交換」というアイデアを提供しよう。クリミアと、現在70~80%支配している4州の計5州。なのにドネツクとルハンスクの「たった2州」でいいよ、残る地域は現状の前線で戦闘を停止することを文書で確約しますよ。しかもトランプさんの悩みの種、「安全の保証」。これもNATOに「類似」したものはOKですよ、ときた。だから「停戦」なんてまわりくどい、一気に「和平」と行きましょうよ。トランプはさぞ喜んだのだろう、やっぱりプーチンはいいやつだと思ったことだろう。

対するトランプの手持ち札はなんだったのか。まずは制裁対象のロシア高官を含む一行の訪米を受け入れる。戦争犯罪で国際刑事裁判所から逮捕状が出ているプーチンをレッドカーペットで歓迎する。追加制裁なんか、しない。停戦より和平か、値打ちが高いね、看板も「PURSUING PEACE」に掛け替えよう。そのうえでこの「領土交換」をゼレンスキーに突きつけよう。それを拒むなら、もう支援は続けられないと脅かそう。また支援をやめる口実になればそれはそれでいい。

このディール、プーチンの圧勝だ。プーチンは知っている、ゼレンスキーはこのディールに乗れないことを。ウクライナ憲法の制約もある。なによりドネツク州の割譲だ。クリミア半島併合以来、ウクライナ政権はさらなるロシアの侵略に備えて10年かけてドネツク西部を要塞化してきた。アメリカ戦争研究所はこの要塞の堅固さゆえ、ドネツク制圧には多大な人員と物資の損失を伴う数年にわたる戦闘となると分析している。それを外交で明け渡すなど、誰がするものか。

かりにロシアがドネツク州を獲得したならば、キーウ攻略までは自然の障害もなく、侵攻が容易くなる。それは堀を埋めて城を明け渡すようなものだという専門家の指摘をどこかで読んだ。そうなればたとえNATOに類似した「安全の保証」とはいえ、南北1000キロの防衛戦を欧州軍は構築できるだろうか。ウィットコフさんやトランプの不動産取引感覚では、「え!2州でいいの?」なのだろう。それが「和平」の条件で、しかもそれまで追加制裁なしで攻撃し続けることができるというのだ。繰り返すが、プーチンの圧勝だ。

プーチンはトランプを担いだ(担ぐ;あざむく。だます。からかって、いっぱいくわせる。日本語大辞典)。このトランプをヨーロッパが担ぐ(担ぐ;推し立てる。まつりあげる。おだてて、上の地位におく。同上)。

米ロ首脳会談、もちろんゼレンスキーさんもヨーロッパ首脳もこれが危ないことは分かっていた。8月8日にトランプは「領土交換」を口にした。9日、ウクライナとヨーロッパ首脳はイギリスで集まり、アメリカに「和平より停戦優先」などを訴え、13日のトランプとのオンラインで協議にこぎ着けた。独、仏、英、伊、EUそしてNATOは即時停戦優先と安全の保証確約を重ねてトランプに求めた。トランプも「領土問題は交渉しない」と約束し、「安全の保証」についても米欧が共同で提供することに同意したという。

トランプという人は嘘つきなのか不真面目なのか、おそらく嘘つきで不真面目なトランプは、プーチンの顔を見るやいなや「停戦ではなく和平」と平気で手のひら返し。そして18日にゼレンスキー氏との首脳会談、そのホワイトハウスでヨーロッパ首脳とも会談に臨んだ。ゼレンスキー氏にとって、最悪のシチュエーションだった。プーチンは「和平」まで追加制裁なく戦闘を継続することができる。そして「領土割譲」というボールがウクライナに投げつけられた。

このピンチを前にして、ウクライナとヨーロッパのチームワークは本当に素晴らしかった。トランプとの会談前には、ワシントンのウクライナ大使館に集まり、そこでのチームミーティングで作戦を練っていたことが報じられている。

本来ならばトランプを責めてもいいところだ。約束は、停戦優先でさもなくば追加制裁だったはずではないか。それをトランプは臆面もなく「停戦が必要だとは思わない」、「戦闘中でも和平合意を交渉する仕組みは可能だ」と、いつのまにかプーチンの論理を自説にした(停戦なく和平を結んだ戦争の実例をひとつでもあげてみてほしいものだ)。しかしヨーロッパはトランプを責めない。そして「停戦」という言葉を取り下げて「殺りくを止める(stop the killing)」に言い換えた(フォンデアライエン欧州委員長の発案らしい)。即時停戦とは言わず、ただちに殺りくを止めることをトランプに求めたのだ。

トランプは、どうだろうか、みんなに責め立てられることも覚悟していたのだろうか。トランプも年相応の経験は積んできている。アラスカ会談でのディールで得たものは何もないことは分かっているはずだ。会談後記者会見でのトランプの仏頂面がそれを物語っている。プーチンは意気揚々と8分半しゃべり、トランプは3分半だった。最後にプーチンが英語で「次はモスクワで」(ウクライナ抜きで)と呼びかけ、トランプは苦笑い。そしていつもは多弁な記者団との質疑応答も一方的に打ち切った。「担がれた…」。

ところが半年ぶりにホワイトハウスで再会したゼレンスキー氏は、襟付の「スーツ」を着て、冒頭10回くらいトランプに対する感謝の言葉を並べたてた。そしてヨーロッパ首脳が揃う部屋に入った。いきなりNATOのルッテ事務総長だ。この人は6月のNATO首脳会談でアメリカ軍のイラン空爆を手放しで褒め称えて、トランプに対する「おべっか」が過ぎると批判された人物で、今度も「プーチン大統領との行き詰まった関係を打開してくれたこと、ウクライナの安全の保証に参加表明してくれたこと、本当にありがとうございます」とやってくれた。ウクライナ大使館での練習通りかな。

続くのは、やはりトランプとの親和性の高いといわれるイタリアのメローニ首相、「ありがとうございます。ロシアは対話に応じる兆しすらなかったのに、おかげさまで何かが変わろうとしています」だとか。そりの合わないマクロン仏大統領までもが「この場を設けてくださりありがとうございます」。普通の人ならここで気持ち悪くなるはずだが、そこはさすがはトランプだ、気持ちよくなったようだ。

領土問題は「私とプーチン大統領の問題だ」というゼレンスキー氏の言葉にトランプは理解を示し、さらにアメリカがウクライナの長期的な「安全の保証」に関与すると明言した。「我々は欧州を支援する用意がある。とくに空軍を通じて支援することになるだろう」と具体的に約束した。

ここでまたハプニングだ。いきなりトランプが「プーチンに電話して意見を聞いてみよう」と言い出した。ヨーロッパ首脳たちは当然「じゅうぶんな準備が必要だ」と止めに入ったが「いや、話したいから行ってくる」と強行したという。どうしてもプーチンの考えを知らないと不安なのだろう。

でもこれがどう転ぶかわからない。とにかく、プーチンに形勢逆転の情報が届いた。映画などでしか知らないが、スパイは不利な状況で無理をすると命を落とすことを知っている。元スパイのプーチンは、そこでウクライナとの首脳会談提案に舵を切った。そこをドイツのメルツ首相がすかさず「会談が停戦なしに開催されることは考えられない」と、即時停戦原則に立ち戻させた。そしてトランプがまた「2週間以内」と期限を区切った。こうしてボールは、プーチンに投げ返されたのだった。

その後トランプは21日、「侵略国を攻撃することなく、勝利することはとても難しい」と言い出して、長射程ミサイルのロシア領内への攻撃を認めなかったバイデン政権を批判した。そしてSNSに、アラスカ会談でプーチン大統領の胸のあたりを指で突くような写真と、1959年にニクソン副大統領がソ連のフルシチョフ首相に同じような仕草をする写真を並べて投稿した。自分は決して「弱腰」ではなく、プーチンに対して強い姿勢で交渉していたと言いたいのだろう。

なんとも目まぐるしい展開だ。しかし「支援疲れ」から米欧分裂が深まり、ウクライナ支援が停滞する中、プーチンの引っかけとトランプの乗っかりでピンチがチャンスに転じたのは幸いだった。この幸いはひとえにヨーロッパ一体のチームワークによるものだった。このチームワークの軸はどこから形成されたのだろう。おそらくは「トランプ関税」の被害者連帯感ではないだろうか。

トランプは、もちろん西側のリーダーなどではなく、ヨーロッパ共通のリスクであるという認識が共有されたからこそ、嘘つき不真面目トランプを「担ぐ」こともできたのだ。

ところでトランプがプーチン推しでリスペクトしているように、トランプは習近平さんに対しても「尊敬している」、「仲が良い」と繰り返し発言している。別にまた整理するかもしれないが、対中関税はまた90日間延期されたし、AI半導体の対中輸出も「上納金」制度で骨抜きにするし、中国を抑えるための要のひとつだったインドとの関係をいとも簡単に悪化させている。

アラスカ会談のように、中国との関係でトランプがいつどのように目立ちたがるのかわからない。アジアもヨーロッパを見倣って、中国に警戒しながらもトランプこそがこの地域共通のリスクであるという認識をアジア各国で共有して、対トランプ・チームを形成する努力が急がれているような、そんな気がする。

日誌資料

  1. 08/06

    ・関税軽減措置、EUのみ 米官報、日本は対象外 赤沢氏訪米し直談判
    ・「野球契約金のようなもの」 対米80兆円投資巡りトランプ氏
    ・実質賃金6月1.3%減 6ヶ月連続 賞与の伸び、物価に届かず
    ・米貿易赤字16%減 6月 対中は21年ぶり低水準
    ・米家計債務18.4兆ドル 4~6月3%増 過去最大を更新 <1>
  2. 08/07

    ・日本人の減少 最大90万人 外国人11%増、労働力依存 <2>
    ・外国人政策 司令塔欠く 省庁・自治体、なお縦割り
    カナダ、移民局が一元管理 韓国、全国に支援センター
    ・米関税、インド50%に 25%追加 ロシア原油購入で制裁
    米向け輸出5割超影響 モディ首相「農産物妥協せず」
  3. 08/08

    ・浮体式洋上風力15ギガビット発電目標 経産省、40年に900万世帯分
    ・仏、戦後初の人口自然減へ 出生率「優等生」に異変
    気候変動や経済に不安 「早ければ今年」の見方
    ・経常黒字、上期9.1%増 14.5兆円、投資収益が拡大
    ・FRB理事にミラン氏 CEA委員長 トランプ氏が表明
    1月まで短期間 利下げ圧力一段と
  4. 08/09

    ・膨張マネー、関税リスク覆う 世界株、発動後も堅調 <3>
    日米欧で高値圏 AI相場と共振 物価高再燃なら逆回転も
    ・ガザ戦闘再拡大にカジ イスラエル、制圧計画承認
    ・米ロ首脳会談「15日」に トランプ氏 アラスカで開催
    ・インド調達シフト暗転 米企業「50%関税」で混乱
  5. 08/10

    ・欧州利下げ打ち止め観測 関税合意で最悪想定回避 中銀内は見方割れる
  6. 08/11

    ・米財務長官単独インタビュー「関税、不均衡是正なら氷解」 <4>
    将来の縮小可能性示唆 「強いドル、基軸通貨を維持」
    ・英、民営化政策が転機に 水道劣化、鉄道は遅延や運休
    サッチャー主義見直し インフラ、政府が再介入
  7. 08/12

    ・日経平均が一時最高値 1000円超高、4万2800円台 <5>
    米関税懸念が後退
    ・対中関税90日再延期 トランプ氏が大統領令
    ・米消費者物価2.7%上昇 7月 関税の価格転嫁進む
    ・エヌビディアとAMD 米政府に収入15%納付 AI半導体、中国輸出再開で
        ゆがむ対中経済安保 同盟国の信頼失う恐れ 中国、使用見合わせ要請
  8. 08/13

    ・欧州、停戦急ぐ米に対案 「頭越し米ロ合意」回避へ <6>
    ・中国、レアアース囲い込み ミャンマーで検疫確保急ぐ
    ・米ロ会談「ウクライナ不参加」 米報道官「停戦合意難しく」
    ・「FRB議長提訴検討」本部工事費巡り トランプ氏、利下げ圧力
  9. 08/14

    ・トランプ氏、欧州首脳らとオンライン協議 対ロシア停戦巡り方針
    領土問題「交渉せず」トランプ氏から言質 ウクライナの安全、欧米で保証
    ・米「上納金」半導体以外でも 財務長官 対中輸出モデル拡大示唆
  10. 08/15

    ・GDP年率1.0%増 4~6月実質 5期連続プラス <7>
    関税下の「1%成長」 設備投資1.3%増 年後半、手控えの動き
  11. 08/16

    ・米ロ首脳、和平合意できず ウクライナ侵略 初の直接会談 <8>
    ・日経平均が最高値 4万3378円、強いGDP好感
    ・首相、終戦の日式辞 13年ぶり「反省」に言及
  12. 08/17

    ・遠いウクライナ停戦 譲らぬプーチン氏主導権 対ロ制裁、当面見送り
    トランプ氏、厚遇も成果示せず ゼレンスキー氏18日訪米
    トランプ氏「領土交換」示唆 米ロ主導、ヤルタより危険
    ・アフリカとFTA検討 政府、日本車輸出を促進 <9>
    「FTAの空白」解消へ 経済連携遅れ挽回
  13. 08/18

    ・ウクライナ防衛「NATO方式容認」プーチン氏が譲歩か 領土割譲を迫る可能性
    英仏独、領土一体を支持 ウクライナ東部2州割譲案をけん制
    ・円建てステーブルコイン 国内初承認へ JPYC、秋にも発行
    ・イスラエルで大規模デモ 戦闘終結で人質解放求め 数十万人が参加
  14. 08/19

    ・和平案にプーチン氏の罠 ウクライナに東部割譲を要求 <10>
    キーウ制圧への布石か 「防衛要塞」外交で崩す
    ・米「安全の保証関与」表明 ゼレンスキー氏と会談 ロシアと3者会談調整
    日豪含む30ヵ国参画へ ウクライナ「安全の保証」
    ・欧州、ロシア傾斜にクギ 対トランプ氏、「関与」は歓迎
    ・インド首相、プーチン氏と電話 米ロ首脳会談受け協議
    ・中印首脳会談を地ならし 外相会談 国境問題や貿易協議
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