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週間国際経済2025(8) No.414 05/06~05/20

今週の時事雑感 05/06~05/20

トランプが揺らすドルの信認、アメリカの信認

ぼくにとっては謎だ。なぜマーケットは、アメリカの日本に対する円安是正要求をそこまで警戒するのだろう。円安是正要求があってもなくても、円安は“是正”される。円を売ってドルを買う材料が弱いからだ。

だから日米財務省は、市場の警戒心を解くことに専心しているのではないだろうか。4月の日米財務相会談(4月24日ワシントン)では、「為替水準の目標などの話はなかった」(加藤財務相)、「特定の通貨目標を求める考えはない」(ベッセント財務長官)と言及した。そしてあらためて5月21日の日米財務相会談(カナダ)でも、わざわざ「為替水準については議論しなかった」と公表文に記載した。

この会談までの1週間、じりじりと3円ほど円高に振れていた(円安是正要求を警戒)が、会談の直後1円ほど円は急落した(警戒心が解けた)。そしてそのあとはまた、円高ドル安に向かう(ドルを買う材料が見つからない)。

期間も短く変動幅も小さい動きだが、この市場の混乱の背景にはトランプ政権の通貨・通商政策の錯綜が見える。その錯綜のひとつが、市場がいまだにいわゆる“ミラン論文”の影響力を測りかねているようだということだ。大統領経済諮問委員会(CEA)委員長に就任したスティーブン・ミラン氏は、投資会社に勤めていた昨年11月に「世界貿易システムの再構築の手順」という論文を発表した。

この“ミラン論文”の最大の特徴は、アメリカの貿易赤字の根本原因が「ドル高」だとしていることだ。基軸通貨ドルの決済手段としての需要から構造的ドル高となり、この為替レートの過大評価がアメリカ製造業の弱体化とひいては貿易赤字の膨張をもたらしたと言う。そこで、懲罰的関税引き上げで貿易黒字国を無理矢理にでもドル高是正のテーブルに着かせ、手持ちのドルを100年物米国債に切り替えさせるというのだ。その合意をわざわざご丁寧に「マールアラーゴ(トランプの別荘)合意」と呼んでいる。

結論から言えば、この“論文”の学術的評価に「不可」をつけない専門家はいないだろう。どう見てもこれは、トランプのホワイトハウスに取り入ろうとする「就活レポート」だ。しかし、そんなことより最大の問題は、トランプがこの“論文”をおおいに気に入って、だからこそミラン氏をCEA委員長に抜擢したという事実だ。そこで市場は、「すわプラザ合意2.0か!」と身構えているのだ。

でもそれはありえない、とぼくは思う。プラザ合意当時(1985年)とは国際金融市場での通貨取引量の規模がケタ違いだし、合意形成には準備通貨としてドルを大量に保有している国の参加が前提だ。つまり中国と協調して市場介入という想定だから、それはありえないだろう。ミラン氏自身が4月の講演で“ミラン論文”はもう気にするなといっているくらいだ(就活が成功したからもういいのだろう)。

ところが恐ろしいのは、トランプがまだ“ミラン論文”に拘っていると見受けられることだ。たしかに彼は「ドル安」がお好みだし、大統領選挙期間中はドル独歩高だった。懲罰的関税引き上げで脅して貿易黒字国をマールアラーゴに呼びつけて合意を形成するなんて素敵だと思うだろうし。関税強硬派にはミラン氏以外にも、あの筋金入りのピーター・ナバロ大統領上級顧問がいる。

これに対してウォール街出身のベッセント財務長官なども、関税引き上げに反対してはいない。もちろん反対していたらホワイトハウスに入れないだろう、ただし、インフレの再燃だけは阻止しなければならない。関税引き上げとドル安は、鉄板のインフレ・セットだ。

これはぼくの憶測に過ぎないが、ベッセント財務長官の「面従腹背プラン」はこうだ。関税はどうぞ引上げていただいてけっこうだ。財政再建派のベッセント氏にすれば関税だろうと税収は多い方がいい。それで一時的にでも日欧中国の貿易黒字が減れば、ドル高になるだろう。関税を回避してアメリカ現地生産投資が増えれば、ドル高になるだろう。ドル高になれば、関税による輸入物価上昇を軽減できるはずだ。また関税引き上げでアメリカの株価は一時下落するだろうけど、それはかまわない。成長減速見通しでリスクオフになれば、株を売って米国債を買うことになる。すると国債利回り(長期金利)が下降して、財政再建を支えてくれる。こんなところだろうと、見た。

ところが4月2日に発表された相互関税は、およそ想定外のものだった。その税率も想定以上だし、なによりその税率の根拠があまりにも非合理的なものだった。どうやらピーター・ナバロ大統領上級顧問の考案で、貿易赤字額を輸入額で割って2で割ったというまったく意味不明なものだった。もちろん株価は暴落したが、一番の想定外は米国債価格も急落(利回りは急上昇)したことだった。そこでベッセント氏は、(ウォールストリート・ジャーナルによると)ナバロ氏が外出してホワイトハウスに戻るまでの短時間の内にトランプを説得して、相互関税上乗せ分の発動を90日間停止すると発表したのだ。

やれやれひと安心、ではない。とんだドタバタ劇だ。このあともイーロン・マスク氏がピーター・ナバロ氏とホワイトハウス内で罵倒し合ったと報道された。マスク氏は徹底したリバタリアンだから、市場への政府の介入を嫌う、つまり関税も低いほうがいいと考えている。どうだ、タリフマンのイエスマンたちは関税に対する基本的な思想が、こうも違うのだ(余談だが、ナバロ氏は元民主党員、マスク氏もベッセント氏もかつて民主党支援者だった)。

そんなホワイトハウス内の軋轢が衆目にさらされたうえで、その後もトランプ政権の関税政策は右往左往する。これに市場は株安、米国債安、ドル安の「トリプル安」で応え、トランプは基軸通貨ドルの信認を大きく揺らすことになったのだ。こうして「アメリカ売り」が起きているのだからドル安阻止が急務となる、はずだった。

残念なことにトランプには、それがわからない。むしろ株価下落と景気減速をFRBに責任を転嫁して、利下げ圧力をかける。利下げはインフレ圧力となり、ドル安材料となるが、トランプにはそれがわからない。パウエルFRB議長の退任要求にまで踏み込んだ。金融政策への露骨な政治的介入は通貨の信認を落とす。トランプには、それがわからない。

アメリカが「売られる」理由は他にもたくさんある。ガザ停戦についてトランプは、「反ユダヤ主義」コスプレで仮装したネタニヤフにまったく腰砕けだ。ウクライナ停戦についてもトランプは、自分が仕切るボス交決着という安い承認欲求に囚われていることをプーチンに見透かされ、いいようにあしらわれている。ハーバード大学を抑圧しようとして、高度人材の海外流出が堰を切った。

トランプは国内に岩盤支持層がいるようだけれど、アメリカには海外に岩盤支持層があった。それが音を立てて崩れていきそうになっている。トランプのアメリカには魅力がない、あまり関わりたくない。ドルの信認低下は、アメリカの信認低下の市場的表現なのだ。

そうした意味で、ムーディーズによる米国債格付けの引き下げは象徴的だ。これで3大格付け会社のなかで米国債は「最も安全な資産」ではなくなった。きっかけはアメリカ議会で調整中の「トランプ減税恒久化」法案なのだが、この結論が出る前にムーディーズは「財政赤字の大幅な削減が実現するとは考えていない」と断定したのだ。この煽りを食って米銀大手5行も格下げされた。銀行に対するアメリカ政府の支援能力が低下したという判断だ。

上のグラフに見るように、海外の米国債保有額では中国の減少が著しい。かわってイギリスが急増している。よかった、中国よりイギリスのほうが安心だ?とんでもない。イギリスに集まって米国債を買っているのはヘッジファンドたちだ。ヘッジファンドの米国債保有残高は約380兆円、これは日本全体の2倍だ(5月22日付日本経済新聞)。売り浴びせの可能性は小さいと見られているが、ヘッジファンドというものは大事にしまっておくためではなく、売るために資産を保有しているのだ。

ところで海外が米国債を保有する最大の動機は、貿易黒字で得たドルの運用だ。それなのにトランプは、その貿易黒字を大幅に減らそうとして、大幅に関税を引上げようとしているのだ。そのうえさらに大幅な減税を追加しようとしている。つまり米国債の需要を減らして供給を増やそうとしているということだ。その米国債を、ヘッジファンドが大量に保有しているのだ。

まだまだ心配の種は尽きない。米国債に代わって「最も安全な資産」と格付けされたのがドイツ国債だが、ドイツはトランプによる欧州安全保障離れを警戒した国防費増額のために厳格な財政赤字抑制策を大きく緩和した。ドイツ国債の大増発、アメリカ売りマネーはその受け皿を見つけたのだ。

今となっては「トランプはむちゃくちゃやな」と、それを笑う人はもういない。トランプ贔屓だった有名人たちも今は眉をひそめる。このトランプのむちゃくちゃは、民主主義が生んだのだ。さて民主主義は、トランプのむちゃくちゃを終わらせることができるだろうか。この問いは、魅力的だ。しかしその裏には深刻な問いが隠されている。トランプが終わったら、「元に戻れるのか」と問う。

散々こき下ろしておいてなんだが、じつはぼくはミラン氏ともベッセント氏とも共有している問題意識がある(誰も興味がないが、それはこれまでぼくの、研究でも教育でも中心テーマだった)。その問いとは、「戦後世界経済すなわちドルを基軸通貨とした自由貿易市場は、はたして持続可能なのか」。トランプは出て来てしまった。そしてこの問いをかつてないほど鋭利に、ぼくたちの時代に突きつけてきたのだ。

日誌資料

  1. 05/06

    ・豪首相2期目21年ぶり 総選挙、野党の「トランプ流」反感
    ・EU、研究者誘致820億円 「米国離れ」の人材念頭
    ・NY原油一時55ドル台 増産加速決定で 4年ぶり安値圏
    ・輸入映画に100%関税 トランプ氏、USTRに指示 米産業の保護訴え
    ・日中韓ASEAN財相会議(ミラノ)「保護主義、経済分断招く」声明
  2. 05/07

    ・インド、パキスタン領攻撃 「テロ組織拠点」標的 多数死者
    ・米中、週内に貿易協議 スイスで 財務長官と副首相ら
    ・中国太陽光、初の赤字 主要7社 デフレ輸出、国際摩擦 増産投資、裏目に
    ・独首相にメルツ氏選出 戦後初の再投票 連立基盤の弱さ露呈
    ・米貿易赤字最大に 3月、駆け込み輸入加速
  3. 05/08

    ・米金利、3会合据え置き FRB関税の影響見極め 声明「さらに不確実」 <1>
    ・プーチン氏は「戦争犯罪人」 米財務長官 対ロ強硬へ踏み込む
    ・米中、台湾問題「議論せず」 バンス氏、貿易に集中
    ・韓台通貨高、ドル離れ映す 米関税政策の混乱響く 円相場の行方占う <2>
  4. 05/09

    ・米英、関税交渉で初合意 輸入枠10万台 英国車10%に下げ <3>
    成果演出の対英交渉 「他国と同じ取引しない」 日本、追随難しく
    ・動けぬFRB「今は忍耐」物価・失業、同時上昇を警戒 関税「不確実性さらに」
    トランプ氏、FRB議長は「愚か者」 利下げ遅いと批判
    ・EU、対米報復16兆円 関税交渉決裂なら 車や航空機対象
    ・中国製流入、日・EUで対処 EVや太陽光パネル過剰生産 米関税の余波警戒
    ・実質賃金3月2.1%減 物価高騰に追いつかず
    ・米「30日の無条件停戦を」 トランプ氏、ロシアなどに促す
  5. 05/10

    ・中国、関税で対米輸出急減 4月21%減、駆け込み需要一転 外資の投資にも重荷
    ・対中関税「80%がよい」 トランプ氏、協議前に投稿
    ・メキシコ、車輸出4月11%減 米関税政策警戒で手控え
  6. 05/11

    ・インド・パキスタン停戦合意 両政府発表 トランプ氏「米が仲介」
    ・プーチン氏、直接交渉提案 ウクライナと 15日トルコで
    ゼレンスキー氏「トルコで待つ」 停戦交渉に参加へ
  7. 05/12

    ・経常黒字、最高の30.3兆円 昨年度 海外からの配当押し上げ <4>
  8. 05/13

    ・米中双方、関税115%下げ 90日間 米30%、中国10%に <5>
    継続協議で合意 NY株急伸1160ドル高 米中対立の懸念緩和 関税前水準超す
    ・訪日観光 経常黒字の柱 昨年度旅行は58%増 初の特許使用料超え
    ・薬価引き下げへ大統領令 トランプ氏「59%下がる」
    ・ロシア、無条件停戦応じず 対ウクライナ「戦闘継続」 直接交渉は不透明
  9. 05/14

    ・米消費者物価2.3%上昇 4月、関税影響は限定的か
    ・米家計債務最高2700兆円 1~3月 学生ローン延滞急伸
    ・AI半導体 輸出規制撤回 米、中東など関係配慮 代替案を公表へ
    ・米、シリア制裁解除表明 トランプ氏、暫定政権支持 <6>
    中東安定へ布石 イスラエル・アラブ国交正常化 サウジに参画促す
    ・トランプ氏、対中関税115%下げ 習氏の「備え」米押し切る <7>
  10. 05/15

    ・停戦交渉、プーチン氏欠席へ トランプ氏も不参加 ゼレンスキー氏トルコ入り
    ・「ハマスなど支援停止条件」 トランプ氏 イランとの核合意巡り
  11. 05/16

    ・外貨準備 進むドル離れ 昨年末57.8%で最低 <8>
    「無国籍」の金積み増し 円、金利ある世界で再評価
    ・サウジ、原油増産かじ 900万バレル回復 シェア重視、価格下押しも
    原油急落、一時4%安 先物 「米がイラン制裁緩和」観測
    ・GDP1~3月0.7%減 実質年率 4期ぶりマイナス 個人消費伸びず
    ・24年度GDP0.8%増 4年連続プラス 実質559兆円 名目は初の600兆円超え
  12. 05/17

    ・ウクライナ協議「継続確認」 トランプ氏「プーチン氏と早期会談」
    ・ウォルマート値上げへ 関税反映、試される米消費
    小売売上高4月0.1%増 駆け込み一服
    ・主要国以外「関税交渉せず」トランプ氏 一方的に税率通知へ 人員整わず一括処理
    ・米、最上位から転落 ムーディーズ格付け 政府債務増加で <9>
  13. 05/18

    ・米資産の信認揺らぐ 米国債格下げ 金利再び上昇圧力 中印は保有額減少 <10>
  14. 05/19

    ・米トリプル安再燃を警戒 格下げ、ドル売り圧力強まる 日本株への波及も
    ・トランプ減税、7月に照準 財政悪化760兆円試算 <11>
    ・ウォルマートを批判 トランプ氏 関税理由の値上げに
  15. 05/20

    ・米ロ首脳、和平進展なし プーチン氏、30日間停戦難色 電話協議2時間
    ・英EUが防衛協定 首脳会談 米の自国第一主義で接近 <12>
    ・ルーマニア大統領 親EU派 決選投票で逆転勝利 極右台頭に危機感
    ・米関税、東南ア成長下振れ タイやベトナム1ポイント 米中緩和でも打撃
    ・「関税、消費者に転嫁も」 米財務長官 ウォルマート値上げで
※PDFでもご覧いただけます
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