週間国際経済2023(20) No.354 06/24~07/01

今週のポイント解説 06/24~07/01

アメリカ連邦最高裁判所の保守化

人工妊娠中絶の権利

この問題について書くのは、ちょうど1年ぶりです(⇒ポイント解説№314)。1973年の最高裁判決以降、アメリカでは人工妊娠中絶は憲法が認めるところの権利でしたが、昨年6月に最高裁は「憲法は中絶の権利を与えていない」と、49年ぶりに判断を覆しました。どうしてこんなことになったのでしょう。

アメリカ最高裁の判事は9名で、終身制です。亡くなるか、自ら引退しないかぎりその職にあります。判事は大統領が指名し上院が議席100名中60票でそれを承認するという手続きで決まるということになっていました。ところが2017年、トランプ大統領がこれを51票に引き下げ、最高裁判事人事の空席、引退を埋めるかたちで次々と3名を指名し、これが承認されました。

アメリカ最高裁判事は、その憲法解釈で保守派、リベラル派と色分けされますが、トランプ氏が指名した3人はもちろんいずれも保守派。これで最高裁判事の構成は、保守派6名、リベラル派3名となりました。そしてその最高裁は妊娠中絶について、違法か合法化を各州に委ねることになったのです。人工妊娠中絶反対はトランプ氏の大統領選挙の目玉公約でしたから、当時トランプ大統領は「最大の勝利だ」と大喜びでした。

こうしたことから、アメリカ最高裁のアンバランスは、保守化というよりも「トランプ化」と見るほうが妥当だと、ぼくは思っています。この最高裁が今年の6月末、立て続けに保守的判断を示しました。

アファーマティブ・アクション

「優遇的差別是正措置」、アメリカ社会で不利な立場にある黒人などマイノリティが均等な機会を得られるようにするため、大学の入試選考で彼らを優遇することを言います。1960年代にいくつかの有名大学で導入され、1978年には最高裁が合憲とする判断を示しました。これに対して2014年、保守派のNPOが白人やアジア系が自分たちが差別されているとして訴訟を起こしていたのです。

アメリカ連邦最高裁は6月29日、この訴訟に対して「(アファーマティブ・アクションが)法の下の平等を定めた憲法に違反している」と判断したのです。ハーバード大学は同日、最高裁判断に矛盾しない形で「不可欠の価値である多様性」の維持に取り組むと表明、米国大学協会は最高裁の判断を「非常に遺憾だ」との声明を出しました。

この最高裁の判断に、バイデン大統領は「強く反対する」と表明、トランプ氏は「アメリカにとって素晴らしい日だ」と称賛しました。最高裁判断が示される前、3月に実施された世論調査によると、アファーマティブ・アクションに対して共和党支持者の74%が反対し、民主党支持者の反対は29%でした。つまり、政治的イシューでもあったのです。

このマイノリティ入試優遇「違憲」判断は、その直後からアメリカ企業の反発を招いています(7月5日付日本経済新聞)。職場の多様性を阻むということが第一の理由ですが、多くの企業が警戒しているのは、多様性のためにマイノリティの登用を増やすことが「逆差別」だとする訴訟が増えることなのだといいます。

もうひとつ記事を紹介します。7月5日付日本経済新聞夕刊では、アメリカの人権団体がハーバード大学の入試慣行が違法だとして政府に調査を求めたというものです。同大学では、親が卒業生だったり多額の寄付をしていたりした場合、その子供は入試で優遇されると言われています。これが白人優遇で公民権法に違反しているという主張です。

学生ローン返済免除違法

アファーマティブ・アクション判断の翌日6月30日、アメリカ連邦最高裁はバイデン政権による学生ローン返済の一部免除措置を認めない判断を下しました。やはり保守派判事6名がこれを違法とし、リベラル判事3名がこの判断に反対しました。共和党は返済免除がすでに学生ローン返済済みの人や大学に進学していない人に不公平だと反対してきました。

学生ローンについては、トランプ政権でコロナ禍を理由に支払いが猶予され、これがバイデン政権でも猶予期間が延長されてきました。そしてバイデン政権は昨年8月に、連邦政府が提供する学生ローンの借り手に1人当たり1万ドル(約145万円)の返済を免除し、低所得者向けの奨学金を利用している人にはさらに1万ドルを猶予するという大統領令を出したのです(7月2日付同上)。

対象になるのは4000万人以上、うち約2000万人は支払いが全額免除される見通しだったといいます。ずいぶん対象者が多いですよね。そう、現在学生ローンを返済しているのは若者だけではありません。その25%近くが50歳以上だといいます。

アメリカの大学の授業料は日本よりはるかに高く、親が出してくれるのは一部の富裕層に限られます。卒業して就職して返済を続けても、なかなか返済しきれません。そこまでして大学に行くのも、低所得者層が中所得者層に這い上がるために必要なコストだからです。

バイデン政権は中間層の、そして低所得者層からの底上げによる経済成長を築くことを経済政策の柱にしています(最近になってこれを「バイデノミクス」と呼んで「レーガノミクス」に対置させています)。そしてこの学生ローン返済負担こそが、社会格差を温存していると考え、その一部免除を公約に掲げていたのでした。

さて、この学生ローン返済免除違法という最高裁の判断によって、返済猶予もこの8月末で打ち切られます。免除されると思っていたものが直前で覆され、猶予さえ途切れる。ましてやその猶予期間中に金利は5%も高くなっている。返済できるものも返済できなくなる、そうなれば金融市場はもとより社会的にも大きなリスク要因となるでしょう。

そしてこれがバイデン政権にとって大きな政治的ダメージであり、来年の大統領選挙に強く影響を与えることは間違いありません。

アメリカ司法の政治化と社会の分断

よりもよってトランプ政権の期間に、3名もの連邦最高裁判事の指名機会があったなんて。アメリカ民主主義にとってなんとも不運な巡り合わせだと思っていました。7月4日付と5日付日本経済新聞の『米司法 揺らぐ信頼』はとても勉強になりました。

「判例主義のアメリカは法の解釈の余地が大きく、判事の見解が裁判所の判断に反映されやすい」、なるほど。「主要民主主義国の中で、米国は最高裁判断の判事に定年制や任期制を導入していない唯一の国だ」(ホワイトハウス報告書)、そうですよね、「終身制」ってどうりで違和感がありました。

記事では、判事のなかで在職最長(32年)の判事が20年以上共和党の大口献金者から豪勢な接待を受けていたことが問題になったと紹介しています。司法への信頼が揺らいで当然でしょう。また、終身制だけに指名された判事は上院では超党派で承認することが普通だったといいます。そうではなくなったのはトランプ政権からだと。関心のあるかたは、ぜひ検索して読んでおいてください。

「セロリ」

山崎まさよしの「セロリ」です。ぼくは初めてこの曲を聴いたとき衝撃が走りました。「育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイ」、そうなんだイナメナイんだ、と。

授業でアファーマティブ・アクション違憲や学生ローン返済免除違法について紹介し、その授業課題で多くの学生がこの問題に意見を書いてくれました。連邦最高裁の判断に賛成の人も反対の人もいました。どちらが多かったかは問題ではありません。もちろん、どちらが正しいかを問題にする授業でもありません。好き嫌いはイナメナイのです。

民主主義は正しい意見が多数になるシステムでも、ましてや多数が正しいということでもありません。ただぼくは、民主主義は手間がかかるけど、それでも少しずつ世の中が良い方向になるという信頼のうえに成り立っていると信じていました。しかし今アメリカがそうだとは、とても思えません。またそれがアメリカに特殊な現象だとも思えません。その現象を「SNS時代の」と、安易に括ることもやめておきましょう。

アメリカ最高裁の保守化も、「自由」とか「法の下の平等」とか崇高な理念を掲げて判断を下しているのです。しかし、好き嫌いはイナメナイのですから、育ってきた環境の違いとか、そこからくる異なる意見に対する「許容誤差」を認め合うことが、その自由・平等にとって欠かせない要素、あるいは前提なのではないでしょうか。

日誌資料

  1. 06/24

    ・インフレ鈍化なお見えず 5月、9ヶ月連続3%超え 進む円安、価格転嫁続く
    ・韓国兵器輸出へベトナム接近 ロシア製の代替狙う 尹大統領が訪問、首脳会談
    インフレ整備に5600億円 レアアース開発でも協力
    ・米景況感、3ヶ月ぶり低水準 6月 製造業、受注落ち込む サービス業は底堅く
  2. 06/25

    ・ロシアでワグネル反乱 軍と交戦、モスクワ北上か プーチン氏「裏切り罰す」
    ・G7男女共同参画担当相会合 賃金差是正探る 日本は20ポイント差、最下位
    ・EV販売、BYD首位 世界1~3月 テスラ追い上げ <1>
  3. 06/26

    ・中国人の地方参政権制限 韓国与党検討「相互主義の原則守る」
    ・ギリシャ議会再選挙 中道右派与党が大勝 成長重視、2期目へ
  4. 06/27

    ・米財務長官、訪中を検討 現地報道 来月上旬、関係改善探る
    ・プーチン氏、プリゴジン氏を非難 流血回避は評価 プリゴジン氏「政権転覆望まず」
    ・米、高速ネットに6兆円 バイデン氏「ケーブルは米国製に」
    ・日銀の国債保有53.3%に 3月末、過去最大を更新
  5. 06/28

    ・家計金融資産2043兆円 最高 1~3月 現預金が54.2%(前年比1.7%増)
    ・内閣支持率39%、8ポイント低下 マイナ対応「不十分」76% 日経世論調査
    ・プリゴジン氏の汚職調査 プーチン氏が明言 軍への食料提供巡り
  6. 06/29

    ・米欧経済界 中国詣で活発 非制裁分野 投資意欲旺盛に <2>
  7. 06/30

    ・昨年度税収71兆円 過去最高 円安物価高で消費税収増 決算剰余金2.6兆円
    剰余金の最大半分を防衛費に 1.3兆円 5年で3.5兆円を確保する見通し立たず
    ・年収の壁解消 1人あたり50万円助成 雇用保険から拠出 <3>
    企業に助成 猶予は3年 人手確保へ時限措置
    ・近づく日韓、通貨協定再開 8年ぶり、融通枠1.4兆円 財務相対話
  8. 07/01

    ・続く円安、一時145円台 対ドル、昨年介入の水準 <4>
    米利上げ「景気冷却」警戒 政府・日銀の動き探る
    ・アップル時価総額3兆ドル超 終値、世界初 経済圏拡大に期待 <5>
    ・米最高裁判決 学生ローン返済免除違法 政権に打撃
    ・米大学、最高裁判決に反発 入試時の人種考慮は「違憲」
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