週間国際経済2022(8) No.301 03/14~03/24

今週の時事雑感 03/14~03/24

ウクライナ、中国の誤算と打算

情報戦争

こんな悲惨な戦争を見たことがない…。あ。なるほど呟きを文字にすることは大切だ。ぼくは今、「見たことがない」と書いた。悲惨でない戦争があろうはずがない。チェチェン侵攻もシリア内戦も、アフガン・イラク戦争もしかり。その惨状は文字を媒介に想像に落とし込まれてきた。

この戦争は、違う。住宅街への無差別爆撃も、地下シェルターで息をこらす人々も、士気盛んなウクライナ兵も、打ちひしがれるロシア兵捕虜も、写真と文字ではなく、映像と音声で伝わってくる。現地のほとんどの人がスマホから発信できる戦争、現地の誰もが戦場カメラマンでありジャーナリストでもある。ゼレンスキーさんの連日のアピールは世界で高視聴率を獲得し、かれが各国議会で演説すれば観客総立ちが確約されている。

イーロン・マスクさんのスペースXの小型衛星ネット接続サービス「スターリング」がウクライナに提供されたことで可能となったとされるインターネット環境。だとして、それがなかったら、チェチェンやシリアに無関心であっただろう外部の人々が、ほとんど例外なくウクライナに関心を持つということは起こらなかったのではないか。

さらにアメリカ政府もイギリス政府も、入手した機密情報を直ちに公開する。これは前例のないことだ。これでプーチンの企みは弁解の余地なく衆目にさらされる。「演出」のあるなしはともかく、「フェイク」か否かの判定は容易になっている。

こうしてリアリティは単純化されていく。複雑な背景や経緯を捨象して、どのような問題なのかという議論は端に追いやられ、「誰が悪で誰が正義か」という問いの前に人々は立たされる。それが情報社会の本質のひとつの側面なのだが、そうした弊害を語り合う相手とネット空間で出会うことは難しく、そうした発信は容赦なき反撃か黙殺かの二択となる。

こうしてウクライナ連帯は、自由社会市民としての査証となった。「罪のないものだけが石を投げなさい」と諭してもパリサイ人は聞く耳を持たないだろう。ぼくはウクライナ連帯が悪いというつもりはない。ただ、そのウクライナ連帯にアメリカとNATOは正義であることが前提となっていることを問うのだ。

とにもかくにも、今のところアメリカは情報戦争でプーチンを圧倒している。そして、それが中国にとって、最大の誤算だった。

中国「望まぬ状況に発展」

2月28日、中国の張軍国連大使は「状況は中国が望まないところまで発展している」と述べた。ロシア軍のウクライナ侵攻から5日後だ。この発言が意味しているのは戦況ではなく、対ロ制裁の速さと範囲だったのだと、ぼくは思う。この5日間でSWIFTからのロシア排除およびロシア中銀資産の凍結、すなわち「金融封鎖」が合意・実施された。ドイツも直ちにノルドストリーム2の凍結を決め、さらにはウクライナへの武器供与を決断した。EUは領空のロシア航空機の乗り入れを禁止した。化石となっていたはずの「西側」という言葉が強い結束力を伴って実体をもつようになった。それが中国の「望まぬ状況」という誤算だった。

2月4日、北京冬期オリンピック開幕式に招待されたプーチンは習近平国家主席と会談した。共同声明ではNATOの東方拡大に反対し、欧米の内政干渉に反対した。ロシアは台湾独立に反対し、中国への天然ガス供給を約束したがしかし、ロシアのウクライナ侵攻については何もふれられていない。当然だ。中国は台湾やチベット、ウイグルの独立も外国の内政干渉にも断固として反対しているのだから、論理的にウクライナの主権および領土の尊重は譲れない線だ。ましてやウクライナは中国にとって「戦略的パートナー」だ。キエフは「一帯一路」の要衝であり、両国は軍事技術提携関係でもある。だから中国はEUとの関係にも配慮して「ミンクス合意」を支持していた。

ただし、2014年のクリミア併合を前例とするような短期決戦ならば、つまりゼレンスキー政権が早期崩壊しアメリカとNATOの利害対立が表面化するならば、中国は見て見ぬふりをするつもりだっただろう。ウクライナとの友好関係はポスト・ゼレンスキー政権と確認すればいいし、NATO不協和音はドイツとフランスの側に立てばいい。

すべては中国の誤算だった。そして、ここから打算が始まる。

時間稼ぎの仲介顔

ぼくは中ロ蜜月など信じていない。お互いにとって相手は潜在的脅威だ。ロシアの裏庭である中央アジアには中国が一帯一路の進出で影響力を拡大している。ロシアはインドを支援し、中国はパキスタンを支援し、インドと中国は国境武力衝突が長期化している。ただ敵の敵であるアメリカへの対抗で利害が一致しているだけのことだ。

結論から言えば、中国はロシアを見捨てることはないが、プーチンを見捨てることに躊躇はないだろうと、ぼくは見ている。ロシアが弱体化しても、中国への経済的従属が深まるだけのことだ。あわよくば、ロシア産エネルギーおよび希少資源の独占的獲得もありうるのだから。しかもそれらは人民元で決済することもありうるだろう。

3月2日の国連総会ロシア非難決議が採択されたが、賛成141ヵ国より反対・棄権計40ヵ国のほうが総人口が多い。インド、イラン、パキスタンは棄権し、インドネシアは賛成したが経済制裁には批判的だ。ASEANも名指しでロシアを「非難」することはないだろう。南米でも左派政権が次々と誕生している。

ウクライナが中国に仲介役を期待していることを、中国は隠さない。王毅外相は3月7日の記者会見で「必要なときに国際社会とともに必要な仲裁をしたい」と述べるにとどめ、習近平氏は独仏首脳とのオンライン協議で(3月8日)、対ロ経済制裁について大規模な人道危機を防ぐため「最大限の自制」を求めた。李克強首相は全人代閉幕(3月11日)後の記者会見で「国際社会とともに和平回復のため積極的に役割を果たしたい」と述べた。煮ても焼いても食えない言質だ。

この問題ではアメリカとの対立も抑制している。3月14日の米中外交トップの会談(ローマ)では7時間にわたり協議し、18日には米中テレビ協議で習近平氏はあらためて無差別な対ロ制裁を批判し、当事者対話を支持するべきだと指摘した。ただし「ウクライナ危機」という用語を初めて使い、プーチンとの距離も示した。

時間稼ぎだ。模様眺めだ。庇うわけではないが、無理ないとも思う。それだけ今プーチンが何をするのか予測不能だからだ。バイデン氏が過熱すれば「西側」の結束にも不協和音が生じるかもしれない。どちらに転んでも損がないように、できれば得をするように備えているのだろう。

習近平指導部の戦略的誤算

アメリカもイギリスも、ウクライナ侵攻のずいぶん前から在ウクライナ大使館関係者を避難させ、自国民も退避させていた。驚いたのは中国が同様の動きを見せたのはウクライナ侵攻直後になってからということだ。ウクライナ危機が切迫するなかでも中国は「アメリカが緊張を煽っている」と批判していた。中国政府の情報収集に抜かりはなかったのか。

ニューヨーク・タイムズによると、バイデン政権は昨年末から中国と数回にわたって接触し、極秘情報を提供していたという。驚くべきことだ。中国がプーチンを止めることを期待していたということなのか。しかし習近平氏は、ウクライナ侵攻の翌日に慌ててプーチンに電話をかけている。ウクライナの主権に配慮するようにと。

これについては3月1日付日本経済新聞で同紙コメンテーターの秋田氏が紹介しているが、中国に詳しい外交筋によると「習氏の機嫌を損ねるのを恐れ、彼の方針に逆行する情報や分析を側近が上げたがらない」というのだ。まるでクレムリンと同じだ。プーチンも習近平氏も「1強」ゆえに情勢判断を誤ったということなのか。

習近平氏にとって戦略的課題は、なんといってもこの秋の共産党大会で国家主席3期目に就任することだ。これで「集団的指導体制」の終わりは決定的なものになる。つまりそれは一人の指導者に権力が長く集中することを13億人民に認めさせるということを意味する。

そのために習近平指導部はあえて権威的な振る舞いを見せつけてきたのではないか。徹底した香港人権弾圧、徹底したゼロ・コロナ対策。しかし中国共産党もけっして一枚岩ではない。ストレスのひび割れにウクライナ危機とプーチンの孤立が染み込む。

一人の人間に権力を集中させ、それが長期化することが危険であるこという中国現代史の教訓が今また問い直される。欧米との対話力を失うことがどれほど損失をもたらすのか、国際政治の「見える化」が権威主義にとっていかに脅威となるのか。中国共産党内部でそうした空気、世論を形成し、勢いづけかねない。プーチンの戦争はその契機として充分なリアリティを持っている。

誤算は打算では埋められない。世界が注目する深刻な危機に対してまるで指導力を示すことができないならば、習近平指導部が掲げる「強国」は失望の対象へと落ちぶれ、かつ国際的警戒心に包囲されることになるだろう。

お知らせ

授業が始まりますので、次回からは学生向け教材を兼ねた「今週のポイント解説」に戻ります。

日誌資料

  1. 03/14

    ・ウクライナ南部攻撃拡大 市長連行 外相「ロシアが拉致」と非難
  2. 03/15

    ・ロシア、迫る債務不履行 外貨準備5割凍結、16日に1億ドル期日 <1>
    ・中国、コロナ急拡大で深?など都市封鎖 トヨタや鴻海、工場停止
    ・米「中国のロシア支援懸念」 中国と高官協議7時間 楊氏「和平交渉を支持」
    ・米長期金利上昇、2.1%台 2年8ヶ月ぶり高水準 円安進行、一時118円台に
  3. 03/16

    ・ウクライナ難民290万人 周辺国、受け入れ限界 日本、特例で入国枠拡充
    ・東欧3首脳、キエフ訪問 ゼレンスキー氏と会談
    ・貿易赤字7ヶ月連続 2月、原油高で輸入3割増
  4. 03/17

    ・米シェール100万バレル増産へ 日量 ロシア産を代替 <2>
    ・ロシア、侵攻長期化に焦り プーチン氏側近、誤算認める 政権内に揺らぎも
    ・米、ゼロ金利解除(16日) 0.25%利上げ、年内7回想定 インフレ抑制優先
  5. 03/18

    ・家計金融資産、初の2000兆円台 成長なき預貯金滞留 <3>
    ・英中銀、0.75%に利上げ コロナ前水準 物価さらに上昇予測
    ・ゼレンスキー氏、議会演説 歴史絡め支援訴え <4>
    ・消費者物価2月0.6%上昇 2年ぶり伸び 原材料高騰映す <5>
  6. 03/19

    ・米中首脳協議 対ロ支援なら中国制裁 バイデン氏が警告 習氏、米ロ対話促す
    中国声明、軍事支援触れず 習氏「ロシア制裁反対」
    ・日銀、緩和を維持 総裁「政策修正は不要」 円下落、一時119円台
    ・日印首脳会談 力での変更許さず 対ロ、インドに協調促す モディ首相は言及せず
    ・プーチン氏、20万人集会で持論「大量虐殺から解放」
    GDP「数四半期縮小」 ロシア中銀、制裁で見通し
  7. 03/20

    ・日印首脳会談 ウクライナ「深刻な懸念」 モディ首相、ロシアに言及せず
    ・避難民1000万人迫る ウクライナ国民5人に1人
  8. 03/21

    ・ASEAN、対ロ及び腰 岸田首相、議長国カンボジアと共同声明 名指しせず
  9. 03/22

    ・平和条約交渉打ち切り ロシア発表 日本の制裁に反発
    ・米、0.5%利上げ排除せず FRB議長 インフレ抑制「迅速に」
  10. 03/23

    ・円、6年ぶり121円 揺れる輸出恩恵 有事の買い低調 歯止めかかりにくく <6>
    ・バイデン氏「戦争犯罪人」発言 ロシア「関係崩壊寸前に」
  11. 03/24

    ・ロシア侵攻膠着 1ヶ月経過 制圧地域拡大せず 人道危機、深刻さ増す
    ・英消費者物価6.2%上昇 2月、30年ぶり高水準続く
    ・ゼレンスキー氏「日本、対ロ制裁継続を」 国会演説 初のオンライン
    ・新興国株・通貨、資源で選別 ブラジルやインドネシアにマネー
    ・ルノー、ロシアで生産停止 ゼレンスキー氏が要請
    ・ロシア高官辞任 大統領特別代表 侵攻に抗議か
※PDFでもご覧いただけます
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