週間国際経済2019(37) No.205 11/05~11/11

今週のポイント解説(37) 11/05~11/11

RCEP、年内妥結断念を考える

1.RCEP(アールセップ)って何?

「東アジア地域包括的経済連携」(Regional Comprehensive Economic Partnership)の略語だが、英語表記に「東アジア」という言葉が見当たらない。交渉参加国を見ると、ASEAN10カ国、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドの16カ国、たしかに東アジアというくくりにしては広すぎるかもしれない。でもそこが、RCEPを理解するうえで大切なポイントになっている。

これら16カ国人口は世界の約半分、世界GDPおよび貿易の約3割を占める。この巨大な地域の関税、貿易手続き、金融サービス、投資、知的財産権など包括的な自由経済圏を作ろうというもので、2013年に第1回交渉会合が開かれた。2017年には首脳会議に格上げされ、2018年11月の首脳会議共同声明で「2019年妥結」の決意が表明されていた。

そして先の11月4日、バンコクで首脳会合が開かれた。年内妥結を見送り、2020年の署名を目指し協議を続ける共同声明を公表したのだが、その20分後に突然インドが「合意に参加しない」と言い出したのだ。事実上の離脱表明と受け止められている。

2.インド、離脱か

ぼくは、というかRCEPに関心を持っていた人たちのほとんどは、このことに驚かない。というのは、RCEPは2017年も2018年も年内妥結を目指しながら断念してきた。インドを説得できなかったからだ。

無理もない。インドにはこれといった輸出品がない。RCEP交渉相手15カ国はインドの貿易赤字の3分の2を占め、とくに対中赤字が全体の4割近い。貿易を自由化しようものなら、中国の家電やオーストラリアの農産物がさらに流れ込んでくる。

インドが自由経済圏に参加するためには、まずもって自国産業の競争力を強化しなくてはならない。そのためには税制や労働関連の改革が必要だ。インド国内でこれらの政策はまるで人気がない。最大の関心は貧困問題であり、雇用に悪い景況をもたらすかもしれない市場開放なんてとんでもない。

モディ首相は改革派だ。しかしインド経済は減速しはじめ、失業率も過去最悪を記録し、直近の選挙でも大きく議席を減らしている。RCEPでの譲歩は、政権危機につながりかねない。

だから、こう思うのが自然だろう。そう、どうしてインドがRCEP交渉に参加しているの?そのモチベーションはなんなの?

3.東アジア地域経済連携のモチベーション

1990年代中頃までヨーロッパにはEUがあり、北米にはNAFTA(北米自由貿易協定)があり、南米にも自由経済圏構想があるなかで、アジアには二国間FTAですら稀にしか存在していなかった。

各国経済がバラバラだったのかといえば、そうではない。1985年プラザ合意以降の急激な円高を背景に、日本の対アジア対外投資は激増し、これに韓国が続き、東南アジアに広がり、中国が参加して重層的な国際分業体制が構築されていった。

2004年版『通商白書』によれば、東アジア域内の経済緊密化の度合いは、「欧州統合のプロセスが開始された時点に近い状況」にあり、貿易補完関係はNAFTA結成時のアメリカ、カナダ、メキシコよりも強かった。つまり東アジアでは、高い関税率などさまざまな貿易障壁を残したまま、市場統合を完成させた地域と同水準の高い経済的相互補完性を実現していたということだ。それだけに、自由貿易交渉をわざわざ始めるだけのモチベーションに乏しかったといえるだろう。

ところが東アジアは突然、危機を共有した。それが1997年のアジア通貨危機だ。タイのバーツ、インドネシアのルピアそして韓国ウォンが連鎖的に大幅に暴落した。その間、中国に返還されたばかりの香港ドルも通貨投機にさらされ、フィリピンもマレーシアも通貨防衛のために国内経済資源を犠牲にした。当然この地域に対する莫大な日本の投資は激しく傷んだ。

これを契機として東アジアは、それまでの市場任せの国際分業体制ではなく、それを守るためにも政策的な協力が必要だというモチベーションを共有したのだった。

4.ASEAN+3(日中韓)

つまり東アジア経済連携はASEAN10カ国と日本、中国、韓国という枠組みでスタートした。その内実化のイニシアティブをとったのは、意外と思われるかもしれないが日本、韓国、そして日韓だった。

東アジア域内金融協力については「宮沢構想」と呼ばれるように、宮沢喜一元首相(当時大蔵大臣)が提唱したものだった。また韓国の金大中大統領は1998年にASEAN+日中韓の自由貿易形成検討を呼びかけている。その土台となるのは1998年の金大中大統領と小渕恵三首相の日韓共同声明だった。日韓両国のパートナーシップを確認して、両者で中国に呼びかけ、日中韓首脳会談に結びつけた。

日韓両国は2002年のサッカーFIFAワールドカップ共同開催、2003年「冬のソナタ」(韓流ドラマ)ブームと良好な関係を築いていたかに見えたが、同時に暗い影が忍び寄っていた。2001年小泉首相は1985年の中曽根首相、1996年の橋本首相以来の靖国神社参拝を行い、中国からの反発を受けながら毎年参拝を続け、2015年には中国で大規模な反日デモが発生した。それでも小泉首相はついに2006年、21年ぶりに終戦記念日に靖国神社を参拝した。この賛否は他に譲るとして、とにかく東アジア域内金融協力も自由貿易圏構想も凍りついたままにされた。

5.そしてインドが入った

こうして日中関係が最悪になるなか2007年、日本政府がRCEPの枠組みを提案したのだった。つまりそれまでのASEAN+日中韓にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えたものだ。これを東アジア地域包括的経済連携と名付けたのだ。アメリカの同盟国と、中国と対立する核保有国インドを参加させる、明らかな中国抑止の枠組みだ。

中国はあくまでも従来の枠組みを主張するが、ASEANには南シナ海領有権を巡って中国と対立するベトナムやフィリピンなど中国の影響力を警戒する声もある。いずれにせよ、参加国をどうするという問題から、交渉は振出しに戻った。

そして2008年、リーマンショックが起こり、東アジア経済も甚深な打撃を受けた。ぼくは、東アジア経済連携の中途挫折が悔やまれてならなかった。しかしその後も尖閣事件(2010年)、李明博韓国大統領の竹島上陸(2012年)と日中韓の対立は深まる。

そうしたなかで、2012年にRCEP交渉開始が宣言され(11月、カンボジア)、2013年に第1回交渉会合が開かれたのだ(5月、ブルネイ)。アジアの広域経済圏交渉に、中国をけん制する体制が組み込まれた。

その一方で日本政府は、その2013年に中国と韓国が参加しないTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉参加を決定したのだ。TPPは、オバマ政権がアジア太平洋地域の通商ルール主導権を(中国ではなく)アメリカが握ることを目的にしていると明らかにしているように、「中国封じ込め」が強く意図されたものだった。

6.トランプ保護主義とRCEP

ところがトランプ政権のアメリカは、TPPを離脱し、多国間通商交渉を拒む。EUなどとは違ってアジアは、日本、中国、韓国は、個別にトランプ関税制裁と向き合わねばならなくなった。とりわけ中国に対する制裁関税発動は、東アジアの国際分業体制を寸断するようになっている。貿易と投資は萎縮し、経済成長は著しく減速する。

そこでRCEPには、新しいモチベーションが生まれた。トランプ保護主義に対抗して自由な貿易圏を構築していかなくてはならない。TPPほど高度な自由化はいらない。ゆるやかな統合であれ、相互依存関係を互いに守らなくてはならない。

だからこそ、インドはそこにとどまることができない。例えばアメリカに高い関税をかけられた中国の鉄鋼はインドになだれ込む。これを自由化などすれば自国産業を育成できない。インドの離脱は当然の成り行きだろうし、ASEANから「インド抜き」合意の声が上がるのも理解できることだ。

しかし、日本はこの声に明確に反対している。「インド抜きでは中国の影響力が突出する恐れがあると警戒しているためだ」(11月5日付同上)。また日本はアメリカとともに「自由で開かれたインド太平洋構想」を掲げる。インドが関わらなければ中国の「一帯一路」に対抗することができないと考えている。

さて、そのアメリカは、日本ほどインドに拘っているだろうか。そもそも東アジアに対する戦略が確立しているだろうか。前回も見たように、東アジアサミットには首脳会合であるにも関わらず国務長官すら派遣することがなかった。ASEANは南シナ海問題に対するアメリカのコミットメントに疑念を抱いている。ニュージーランドはますます中国に接近している。日本との関係が泥沼化している韓国は、いっそう中国に傾斜している。インドと中国は、直後のBRICS首脳会議で経済協力を深めることで一致している。

アメリカ世論は「一帯一路」に無関心だから、「インド太平洋構想」など票にならない。日本は孤軍奮闘してインドの首に縄をかけるつもりなのか。あるいはインド抜きなら、RCEPの枠組みそのものが崩壊してもいいと考えるかもしれない。しかしRCEPには新しいモチベーションが生まれた。日本がインド抜きに反対し続ければ、密かに「インド+日本抜き」の合意作りが進行するかもしれない。とても、心配だ。

日誌資料

  1. 11/05

    ・東アジアサミット(4日バンコク)南シナ海軍事化に「重大な懸念」
    中国、議長声明案に反発 トランプ氏欠席、補佐官出席「米主導秩序」の落日
    米との会議 ASEAN首脳出席3人どまり
    ・米、対中関税撤回を検討 フィナンシャル・タイムズ報道 衣服など12兆円相当
    NY株最高値 日経平均2万3000えん回復 米中交渉に期待感
  2. 11/06

    ・米、パリ協定離脱通告(4日) 温暖化対策「米抜き」進む <1>
    大統領選挙でも争点に 民間、取り組み加速 日本は再生エネ普及に遅れ
    ・RCEP(東アジア地域包括的経済連携)インドで綱引き 揺らぐ枠組み <2>
    日本、対中国で連携期待 ASEAN、インド抜き15カ国先行を提案
    ・英下院解散 総選挙へ 来月12日投開票 新離脱案が争点
    ブレグジット党、離脱派を分断も 合意案に反対、首相に逆風
  3. 11/07

    ・ユーロ圏1.2%の低成長 IMF下方修正 今年、独不振響く
    ・米中交渉期待で人民元高 3カ月ぶり1ドル=6元台 市場に楽観論 <3>
    ・ツイッター元従業員起訴(米司法省) サウジのスパイに協力か
  4. 11/08

    ・追加関税、段階的に撤廃(中国商務省7日発表) 首脳会談へ調整
    ・追加関税撤廃「合意ない」ナバロ米大統領補佐官
    ・消費支出9月9.5%増 増税前の駆け込み鮮明 <4>
    ・香港デモ 初の死者 駐車場から学生転落 抗議活動激化も
  5. 11/09

    ・中国、対米輸出16%減 10月、追加関税の打撃鮮明
    ・米政権、関税撤廃に慎重論 迫る「第4弾」綱引き迫る
    トランプ氏、関税撤廃「合意していない」
    ・訪米外国人観光客消費、低迷続く 14カ月連続 中国人減少響く
    米国個人消費にインバウンドが占める割合は3%(日本1%) 中国人が全体の14%
    ・NY株続伸、最高値を更新 2万7681ドル
    ・中国、物価3.8%上昇 10月、豚肉の高騰(アフリカ豚コレラ)が続く
    ・ウクライナ疑惑「バイデン氏調査が首脳会談の条件」 米政府関係者も証言
  6. 11/10

    ・資金循環ゆがみ拡大 日米欧、企業にカネ余り 借金、政府に偏在
    ・ベルリンの壁崩壊30年(1989年11月9日) 揺らぐ自由・民主主義
  7. 11/11

    ・経常黒字3.3%減(4~9月) 9月単月では12.5%減 <5>
    米中貿易戦争の影響で貿易赤字に 旅行収支は13%増の1.3兆円
    ・スペイン総選挙 与党、過半数届かず 極右が第3党
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コメント

  1. 朝野恵輔 より:

     自国産業を育てるためには、まずは海外からの輸入に高い関税をかけなければならない。そして自国の売り出す産業を育てていく。輸出品のないインドが開放的な経済を目指すはずがない。「ガンジーですら拒む」というモディ首相の言葉も納得できる。ガンジーが目指した貧困なき世界を、インドはまず国内から見直していくだろう。
     昨年のペンス演説では、「自由で開かれたインド太平洋」についての言及があったが、今年のペンス演説ではほんの少しの言及にとどまった。ブログにもあるようにアメリカ国民は『「一帯一路」or「自由で開かれたインド太平洋」?』という問いに無関心だからだ。中国がアメリカを怒らせないように始めた「一帯一路」に反対した日米だったはずが、いつの間にか日本だけが取り残されている。「インド+日本抜き」でRCEPが合意した場合、日本はどうなってしまうのだろうか。またRCEPがあることでオーストラリアやニュージーランドの農産物はTPPによるアメリカとのそれと同水準で日本に入ってくることになる。だが、TPPの時に比べ、RCEPが世論を動かしているようには思えない。一体誰に責任があるのだろうか、私にはわからない。

  2. 菊田 海斗 より:

    インドは、輸出品もなく、貿易赤字も目立ち、成長途上な国である。そのため、まずは自国産業の競争力を強化し、貧困問題を解決するだろう。
    だが、日本はインドが離脱するとRCEPは中国主導が非常に強くなることを懸念する。
    実際、離脱を決めているインドだ。
    では、日本はこれからどうしていくべきなのか。
    そこまで、中国の「封じ込め」を考えるなら、しっかり米国側につけばよい。
    米中貿易戦争も、休戦に向かいつつあるが、日本はアメリカ側につき後ろ盾を得て、中国に対抗できる貿易圏の立ち上げを行うことも良いのでは? 
    はたまた、米国に逆らう形で中国側につくのか。
    いつまでも、中立ではいられない。
    成長スピードが異なる国々を一律にまとめる枠組みを作るの簡単ではないですね。

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