週間国際経済2018(36) No.163 11/04~11/11

今週のポイント解説(36) 11/04~11/11

「無秩序離脱」へのカウントダウン

1.イギリスのEU離脱

後期授業が始まるとき、今世界市場はふたつのリスクに身構えていると伝えていた。ひとつはアメリカ中間選挙、もうひとつはイギリスのEU離脱交渉が期限を迎えることだ。米中貿易戦争が騒がしいあまり、このもうひとつのリスクがそれに埋もれてしまったかのようだが、これはたいへんなことなのだ。

イギリスでEU離脱を問う国民投票が実施されたのが2016年6月、「まさか」の離脱支持(51.9%、残留支持は49.1%)という結果を受けて、イギリス政府は2017年3月29日に離脱をEUに通告した。リスボン条約(EU基本条約)によれば通告から2年以内に離脱しなくてはならない。

だから来年3月29日が、その期限だ。問題は、「どのような離脱」なのかということになり、今年10月には決めなくてはならないとされていたが、交渉は難航した。それでも年内には決めないと、そう何も決めないで離脱するという「無秩序離脱」となってしまう。 そうなれば、二度目の「まさか」となる。

2.「離脱」とは何か

EUはイギリスを含めると28ヵ国で構成され、ヒト・モノ・カネの移動が原則自由だ。イギリスは大規模な移民流入を嫌がり、ヒトの移動を制限しようとした。それが離脱支持の理由だったわけだが、そうなるとモノ・カネはどうなるのか、あらかじめ決めていたわけではない。それだけ離脱支持は「まさか」だったからだ。

EU側も(フランスとドイツを中心として)、イギリスに「いいとこ取り」をさせるわけにはいかない。残る27ヵ国にも反EUポピュリズムがあちらこちらで台頭している。離脱を決めたイギリスには厳しく対応しないと、EUの求心力が崩れてしまう。ヒトの移動に壁を作るのなら、モノもカネも壁ができる。それがEUなのだから。

カネの問題で言えば、ロンドンのシティはNYに並ぶ世界の金融センターだ。それは歴史的経緯だけではない。EU域内ではどこかの国で銀行業務などの免許を取得すれば、EU全域で営業ができる「パスポート」を得る。それを失うのだから、金融機関はその拠点をロンドンからEU域内へと移転させるだろう。でもこれは、ロンドンでもEU域内でも免許を取れば不都合で済む話だ、というものではない。ポンドの地位は、イギリスがユーロ圏を含むEUと密接に繋がっているからこそ、その金融仲介機能によって保たれているのだ。

モノの問題も、深刻だ。2017年のイギリスとEUとの貿易総額は約62兆円(4232億ポンド)、今まで関税がゼロだった。離脱すればここに関税が課されるだけではない、なるほどと気づかされたのは「通関手続き」だ。

10月3日付日本経済新聞によると、英仏海峡トンネルは1日約5000台のトラックが行き交う。これまで素通りだった国境で通関手続きが発生する。仮に2分足止めされただけで27キロ以上の渋滞ができると港湾当局は試算しているという。英ホンダ工場は、トラックの通関が15分遅れるだけで約1億2000万円のコスト増になるらしい。そのトラックの運転免許も国際免許が必要になる。こうして幾重にも追加的コストが積み重ねられていく。

パナソニックは欧州本社をイギリスからオランダに移転すると決めた。トヨタはイギリスでの生産一時停止を明言している。イギリスに拠点を置く4000社以上の日系企業だけではない。その他の外資系企業も、いやイギリス企業もまた先行きが見えないでいる。

モノが滞れば、生産が低下し、投資が逃げる。雇用が削減され、社会保障費が膨らみ、財政赤字が拡大して通貨が下落する。こうなればスコットランドの分離独立(EU残留)運動に再び火をつけかねない。

それが、「離脱」なのだ。

3.アイルランド国境問題

アイルランドがイギリスから独立したあともイギリスにとどまった北アイルランドでは、その帰属問題に宗教対立が絡まって流血の事態が繰り返されていた。しかし1973年にイギリスもアイルランドもEUに加盟したことにより、北アイルランドの帰属問題は相対化され、ようやく和平が進展した。

さて、イギリスがEUを離脱すれば、アイルランド島にEU域内(アイルランド)とEU域外(北アイルランド)の国境が壁となってくる。さらに議会過半数に足りない英与党保守党は、その北アイルランドの地域政党(民主統一党)との閣外協力によって辛うじて政権を維持している。民主統一党は、アイルランドとの国境管理の復活に強く反対している。

EUは、だったら北アイルランドだけはEU関税同盟にとどめておけば、と提案するのだが、それは北アイルランドとイギリスとの分断だと民主統一党はもちろん保守党も認めない。困ったメイ首相は、だったらアイルランド問題を解決するまでイギリス全土を関税同盟に残しましょうかと言い出した。

これは保守党の強硬離脱派に火をつけた。そんな中途半端なことをしたら、いつまでも関税同盟に残り、EUルールに従い続けなくてはならなくなる。EU以外との新たな通商交渉も縛られる。主要閣僚が次々と辞任するという事態となってしまった。

4.迷路

みなさん、この問題、年内に解決すると思いますか?

ついにメイ首相はEUと暫定合意した離脱案を閣議決定した(11月14日)。2019年3月の離脱期限から2020年末までは移行期間が設けられている。できればそれも延長したいが、その移行期間中にアイルランド問題が解決しなければ、それが解決するまでイギリス全土をEU関税同盟に残す、というものだった。ただし、この関税同盟からイギリスは一方的に離脱することはできない。

もちろんメイさんは、これがすんなりと受け入れられるとは思っていない。保守党内離脱強硬派は「国家主権の回復」を唱えているのだから。だから、それがダメだったら「無秩序離脱」ですよと賭に出たわけだ。EU側も、もう再交渉には応じないと閣僚会議で決めてしまった。メイさんの二者択一の賭に乗ったのだ。

でも、与党保守党はこの賭に乗らない。「メイおろし」を画策しだしたのだ。どう離脱するかを脇に置いて、メイ首相の不信任案提出に動いている。こんなことをしていたら、もう間に合わない。

よりもよって、こんなときに。世界はトランプさんにかき回されているし、メルケルさんは弱っているし、EUはイギリスだけではなくイタリアとも難しい交渉を背負っている。

こんななかで、第一次世界大戦終結100年を迎えようとは。マクロンさんはその記念式典でこう言った、「古い悪魔が再度目覚めつつある」。古い悪魔とは、内向きのナショナリズムだ。

5.無責任

「どうしたらいいと思いますか」。この問題について学生や知り合いから尋ねられたときは、ぼくはいつでも「国民投票のやり直し」と答えることにしている。

2016年の国民投票で「離脱」が決まったとき、イギリス国内のグーグル検索のトップは「EUって何?」だったという。それまでイギリスは43年間、EUだった。EU離脱が意味するものを理解することもなく離脱を支持した多くのイギリス人。離脱するはずがないと思って投票に行かなかったイギリス人。もう、嫌と言うほど分かったことだろう。

そのうえで「無秩序離脱」、「中途半端離脱(メイ案)」、そして「EU残留」のどれを支持するのかを問えばいい。その前に、議会で徹底的に討論することを忘れてはいけない。みんな、責任を背負って決めればいい。

でも、保守党はそんなことはしないだろう。あの国民投票は「最高の民主主義」だというタテマエの裏に、そんなことをしたら保守党は瓦解してしまうというホンネが見える。そして彼らは、2022年までに予定されている次の総選挙をにらんでいる。その選挙に有利かどうかの駆け引きに明け暮れている。

みんな無責任だ。国民投票を公約にしたデービッド・キャメロン前首相は、保守党内の反EU勢力との論戦を、それじゃ国民投票で決めましょうとかわした。EU離脱になるとは思わなかったからだ。むしろそれを域内の特別な地位を得るための対EU交渉材料に使っていた。

キャメロン内閣の閣僚だったボリス・ジョンソン前外相は、離脱支持の先頭に立っていた。結果残留になっても多数の離脱派を背景にして次期首相選に挑むつもりだった。野党労働党のジェレミー・コービン党首は、この問題について語らなかった。与党保守党の自滅待ちだった。キャメロンさんの後を継いだテリーザ・メイ現首相は、イギリスが抜けたら困るだろうEUの譲歩に期待していた。

みんな無責任だ。でも、他でもない、これは「あのイギリス」で起こっていることなんだ。だから、民主主義の先生イギリスから謙虚に学ぼう。

「内向きの政治」は怖い。

「熟議なき国民投票」は、怖い。

日誌資料

  1. 11/04

    ・米、制裁猶予「180日間」 イラン原油禁輸の適用除外
  2. 11/05

    ・習氏「15年で輸入40兆ドル」 中国輸入博開幕、世界から3600社参加 <1>
    米にらみ購買力誇示 景気減速、目標は小粒
    ・中国企業の伸び鈍化 7~9月増益率7%どまり
    ・「デジタル貿易」さえない日本 パソコン・半導体の輸出6位に転落
  3. 11/06

    ・米、イラン制裁を全面復活 基軸通貨の圧力、世界に履行迫る <2>
    制裁の適用範囲や運用方針は不透明 ドル離れの副作用も
    ・ユーロ圏財務相会合 伊に予算案修正要求 欧州委、制裁辞さず
  4. 11/08

    ・米中間選挙 下院・民主、上院・共和 ねじれ、政権に足かせ <3>
    大統領は「大成功」 NY株1カ月ぶり高値 545ドル高、中間選挙終え安心感
    ・トランプ氏、米司法長官を更迭 ロシア疑惑の追及に備え
    民主には硬軟両様 「対日貿易は不公平」 米朝会談は「来年早々にも」
  5. 11/09

    ・ドル、33年ぶり高値 名目実効レート 「米1強」マネー集中 <4>
    ・中国、対米輸出13%増 10月、伸び率鈍化も底堅く
    ・ユーロ圏経済に暗雲 欧州委、来年1.9%成長に下方修正 <5>
    中国経済減速や伊財政が重荷
    ・FRB、来月利上げ示唆 FOMC(米連邦公開市場委)「経済、力強い水準」
    成長率3%、物価上昇率2% 声明文「さらなる利上げが正当化される」
  6. 11/10

    ・米「中国との冷戦望まず」 ポンペオ国務長官、外交・安保対話で
    中国「覇権を求める意図はない」 南シナ海、台湾、人権問題では対立が鮮明に
    ・上場企業業績、下期減益の公算 中国減速が重荷
    ・中国新車販売、前年割れも 18年見通し 株安などで高額消費低調<6>
    ・韓国経済政策、迷走一段と 分配重視、軌道に乗らず
    最低賃金大幅引き上げで「雇い止め」が続出、消費にも影響
    ・英メイ政権、また抗議の辞任 外相が再度の国民投票訴え
    ・不法入国の難民申請拒否 米大統領署名 移民集団阻止狙う
    ・NY株反落 中国経済減速で NY原油続落、一時60ドル割れ
  7. 11/11

    ・貿易戦争、アルミ市場に異変 米、追加関税で品薄 アジアで需給緩和
    ・貿易戦争下景気リスクでも 日銀緩和、打つ手乏しく 重い副作用
    ・「衰える工場」品質不正招く 設備・人材へ投資が後回し
    日本の製造業の設備投資は海外向けが国内を大幅に上回る

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