週間国際経済2016(22) No.61
06/14~06/20

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今週のポイント解説(22) 06/14~06/20

イギリスの後悔

1.パニック

 各種世論調査は直近まで五分五分だった。離脱・残留のどちらが優勢でもその差は3%程度のものだった。また市場はリスクをすでに織り込んでいるとの見方も優勢だった。しかし国民投票の結果が判明した24日、大半の反応は「まさか!」だった。市場はパニックに陥り、売りが売りを呼び世界の株式時価総額は約3.3兆ドル(330兆円強)が吹き飛んだ。

 これは全体の5%にあたる額だ。イギリスのGDP(2015年名目)約2.8兆ドルを上回り、リーマン・ブラザーズが破綻した2008年9月15日の約1.7兆ドルの2倍の数字だ。

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 EU好きのイギリス人なんかほとんどいないと思う。貧しい見聞だが、まず聞いたことがない。好き嫌いの人気投票なら間違いなく「嫌い」の圧勝だ。しかし1973年に加盟して以来40年以上イギリスはEUの一部だった。理性を働かせて合理的に考えれば「離脱」はありえない。

 イギリスの産業界(CBI英産業連盟)や政府系シンクタンク(IFS英財政研究所)が離脱のリスクを警告したのはもちろん、オズボーン財務相は離脱なら歳出削減・増税は免れないと痛みを強調した。オバマ米大統領は離脱ならばイギリスは通商交渉の「列の最後に並ぶことになる」と異例の言及をし、IMF(国際通貨基金)は離脱したなら2019年のイギリスのGDPは残留よりも5.6%減少するとの試算を出した。

 つまり、イギリス国民はたいへんな損害を被ることになる。そんな選択をするわけがない。イギリスの与党も野党も、世界のマーケットも、じつのところ離脱派も残留派も、そう考えていたのだ。

 ただでさえ世界経済は先行き不透明だ。中国経済は減速しアメリカは追加利上げができないでいる。小さなショックでも溜まった不安が噴出する。恐れからくる希望的観測からも「離脱」はあってはならない。ホラー映画で化け物が出るぞ出るぞと身構えても、いや身構えているからこそ化け物の登場に絶叫する。

 自身のささやかな研究テーマからすれば、常にパニックを準備している国際金融市場にこそ問題がある。過剰な国際流動性と投機的短期資金に対する適切な規制こそが課題だ。投票当日のロンドンは大雨だった。ロンドンには残留支持が圧倒的に多数だ。しかし豪雨と浸水で一部地域での投票所が閉鎖されるなど帰宅後に投票するつもりだった票が流れた。たとえばそんなことでもパニックは生まれる。

 しかし今回の出来事は国際金融問題という領域を超えた、あるいはより深い問題を抱えているように見える。離脱は予想外だが離脱がパニックをもたらすことは想定内だ。ホラー映画の化け物にも最初の登場ほどの恐怖はなくなるだろう。

 パニックが収まっても残るショックの本質は、あのイギリスであのイギリス国民が経済的合理性をかなぐり捨てて未来を選択したことであり、その選択を直ちに後悔しているという有様だ。この教訓は「転ばぬ先の杖」としなければならないだろう。

2.若者たちの後悔

 世界政治に今年の流行語大賞があるならばどちらだろう。ブレグジット(Britain+Exit)だろうか、ブリグレット(Britain+Regret後悔)なのだろうか。イギリスでは結果判明直後から始まった国民投票のやり直しを求める署名が400万人近くにまで増えている(不正アクセスも多いようだが)。

 メディアではよく離脱派が後悔していることが紹介されている。「まさか実現するとは思っていなかった」、つまり結果は予想外だったのだ。また米グーグルによると投票後になってイギリスから「EUって何?」といった検索が急増したという。初歩的な知識もなく投票したのだ。

 しかし後悔は、残留派にもあるのだ。離脱派の後悔は「投票したこと」、残留派の後悔は「投票しなかったこと」だった。事前の世論調査では若年層と都市部で残留支持が多数だと分析されていた。投票結果の分析でも18~24歳の73%が残留を支持している。しかしその18~24歳の30%が有権者登録をしていなかったことが分かっている。これに対して65歳以上の60%が離脱支持で投票率も高かった(登録をしていないのは5%)。

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 この格差は地域間にも表れたという(6月27日付日本経済新聞)。例えば離脱派多数だったヨークシャー地方などではEUからの補助金を離脱後は英政府が保証するように求めているという。EUからの補助金に依存している地方で離脱が支持され、EU拠出金を負担している都市部で残留を求めていたということになる。そしてこの高齢者と地方の年金や補助金を負担していくのは残留を支持していた(そして投票に行かなかった)若者たちなのだ。彼らにとっても予想外だったのだ。ただし彼らの多くは意思表示もしていない。これが「転ばぬ先の杖」その1だ。

3.高齢者たちの後悔

 ではなぜ高齢者では離脱派多数なのだろうか。様々な分析のなかでも印象的なのが国営医療制度(NHS)財源問題だ。NHSによってイギリス国民は医療サービスの大半を無料で受けることができる。英国独立党(UKIP)のファラージュ党首はEUを離脱すれば週当たり3億5000万ポンドの予算をNHSに回すことができるという一大キャンペーンを打った。しかし、この金額には根拠がない。英国独立党はキャメロン首相が国民投票を公約して以降急激に議席数を増やした政党だ。このキャンペーンによって高齢者たちを中心に離脱支持が広がったという(離脱派の7割が離脱支持の理由にあげていた)。

 これに乗っかったのが前ロンドン市長のボリス・ジョンソン保守党下院議員だ。ロンドン・オリンピック当時の市長で、どちらかといえば親欧州だとされていたが今年の2月になっていきなり離脱支持を表明するようになった。広がる離脱派を基盤にして時期首相の座を狙って賭けに出たと見られている。NHS財源問題に関心が集まる中、反移民感情をこれと結びつけた。さらに「イギリスに主権を取り戻す」と大英帝国時代の郷愁を抱く高齢者層を鼓舞する戦術に出たのだった。

 さて、そのNHS財源問題だが、投票直前の22日夜にテレビ討論会が予定されファラージュ独立党党首は説明を迫られていたが、かれは「家庭の事情」を理由に出演を拒んだ。そしてこの公約は「間違いだった」と撤回した。

 裏切られたのだ。社会保障不安からくる不寛容につけ込まれたのだ。都合のよさそうな印象的な数字に惑わされたのだ。これが「転ばぬ先の杖」その2だ。

 ボリス・ジョンソン氏も投票結果判明後、あれほど欧州統合はナポレオンだヒトラーだと攻撃していたEUと密接な関係を維持すると言い出した。首相になるための離脱派支持者だったが、かりに首相になると離脱したあとのEU交渉という難題を背負わなければならなくなった。おそらく彼にとってもそれは予想外のことだったのだろう。

4.キャメロン首相の後悔

 キャメロン氏はもう過去の人になった。国民投票で離脱多数が判明した直後辞任を表明した。離脱手続きのような面倒なことはしたくないのだろう。気持ちはわかるがこれはそうとう無責任だ。彼が問うたのだから彼がその結果に責任を持つべきだろう。ズルいと思う。そしてそう、このズルさはイギリスのEUに対するズルさそのものだと思う。

 いうまでもなくEUは独仏連合の作品だ。しかし最初にEU構想を言い出したのはウィンストン・チャーチル英首相だった。チャーチルは1946年の有名なチューリヒ大学での演説で「ヨーロッパ合衆国」を提唱した。しかしイギリスは「加わるべきではない」とも主張していた。つまりwith EUであってもin EUではないという狡猾な距離感だ。

 そして現在ユーロにも加盟しない、シェンゲン協定(国境審査廃止)も拒否する特別な地位を保持しながらEUの果実を分け合うことに成功していた。

 キャメロン首相は、おそらく対EU問題を誰よりも有効に使った英首相だと思う。それも内政問題に。そもそも英史上最年少で首相に就任したのも保守党内の反EU派を上手く取りまとめたからだと言われている。そして何より今回の国民投票だ。2013年、キャメロン首相は2015年の総選挙に勝てばEU離脱・残留を問う国民投票の実施を公約し、その結果単独過半数を獲得した。国内不満のガス抜きに成功し、かつEUに対しては離脱をちらつかせて厚遇条件を引き出そうとしていた。

 しかし、EUに対する態度はイギリスらしくとも、これほど重要な問題を国民投票に委ねるという態度はまったくイギリスらしくはない。イギリス政治とはいうまでもなく議会制民主主義であって、すなわち間接民主主義だ。したがって何よりも「議論」が尊ばれる。主張や公約よりも妥協(compromise)はより良い結論だという伝統的価値観だ。

 国民投票はこのプロセスを失いかねない。ときの感情に支配され反射的に賛否を決める傾向が強い。だからナチス台頭という歴史的反省からドイツでは地域住民投票はあっても国政レベルでの国民投票はない。

 EU問題は時間をかけて議会で丁寧に真摯に議論するべき課題だった。反EUのサッチャー保守党政権も親EUのブレア労働党政権も、いかに世論に叩かれようとも議会での議論に立ち向かった。この態度が有権者に「後悔」させない態度なのだ。「EUって何?」と慌ててグーグルで検索しなくてはならない状況に国民を追い込んでしまうことは政治家としてあってはならないのだ。

 国民投票は、じつは国民重視ではない。その過半数は国民の半数でも有権者の半数でもなく、あくまで有効投票の過半数だからだ。さらに政治にワン・イシューはありえない。EU離脱が単独の政治課題ではないことは明らかだ。安全保障、社会保障という問題をはじめあらゆる政治的社会的文化的課題に関わる問題だ。それは議会での議論を経て初めて有権者の判断に委ねることができるテーマなのだ。そういう態度こそ国民重視なのだ。

 キャメロン首相は国民投票に敗北したことを後悔するのではなく、議会制民主主義の伝統的価値観をないがしろにし、エリート主義的に国民を扱った自身の恥ずべき政治倫理を後悔するべきである。

 少なくとも、私たちの「転ばぬ先の杖」となるために。

5.おわび

 また長い話になってしまった。しかも半分も話せていない。国民投票前の授業で学生たちに「もし離脱やったら残りの週間国際は全部これになるやろな」と密かに「残留」を予想しながら言っていた。だから次週もこの問題を扱うだろう。その次の週もそうかもしれない。

 ただそれを予告することはやめよう。来週にはより重要な予想外が起きるかもしれないからだ。

 

 

日誌資料

06/14
・国債入札、特別資格を返上 三菱UFJ銀が財務相に伝達

06/15
・独10年債初のマイナス 英EU離脱 リスク回避加速 <1>
20160614_01

・株・為替動揺収まらず ユーロ・ポンド下落 日経平均1万6000円割れ 
・中国ASEAN外相会合、溝深く 南シナ海で異例の批判
 中国軍艦が鹿児島沖領海侵入 政府「強い懸念」伝達

06/16
・FRB、米連邦公開市場委員会(FOMC、15日)で追加利上げ見送り <2>
 雇用や英EU離脱を懸念 先行き「慎重に」
 会合メンバー、利上げ「年内1回」派増加 市場は「年内見送り」 視界不良
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・日銀金融政策決定会合、追加緩和見送り 黒田総裁「マイナス金利効果徐々に」
・円急伸、一時104円半ば 日経平均300円安1万5500円台 <3>
20160614_03

・訪日客最速で1000万人(6月5日時点)昨年より1カ月以上早く
 伸びは鈍化、先行き不安も 勢い保つには民泊整備や情報提供など受け皿作り欠かせず
・離脱なら歳出削減・増税 オズボーン英財務相、EU残留訴え痛み強調

06/17
・欧州、反EU派に勢い 英の国民投票契機 仏独で反移民勢力台頭 <4>
 EU残留派議員(英労働党コックス氏)銃撃され死亡(16日)
20160614_04
・家計金融資産7年ぶり減 昨年度末1706兆円 株安響く <5>
20160614_05

・ルー米財務長官、アジア投資銀を評価 運用面で「高い基準満たしそう」

06/18
・国債保有日銀3分の1 買い取り「限界論」も 需給逼迫で相場不安定に <6>
 3月末時点前年比32.7%増の364兆円 残高全体の33.9%占める
20160614_06
・円、黒田緩和前に逆戻り 実効レート主要通貨で最も上昇
 この1年間で23%上昇 主要輸出企業利益2兆円目減りも
・EU離脱の場合19年GDP 英、残留より5.6%減 IMF試算
・サムスン、有機ELスマホ用アップルに供給へ 7200億円投じ5割超増産

06/19
・新車販売500万台割れ(今年見通し)国内、5年ぶり低水準
 1-5月は前年同期比4.8%減の212万台 軽自動車は12.5%減 ピークは1990年の777万台
・インド中銀ラジャン総裁退任へ 与党、2期目の再任拒否 経済波乱要因に

06/20
・ゆうちょ銀、運用難でリスク資産に最大6兆円 公的年金も7兆円
 マイナス金利で国債に依存した運用難しく 不動産やインフラ、未公開企業株など代替投資
・日本貿易赤字、4カ月ぶり 5月407億円 米・アジア向け輸出低調
・難民、戦後最多6530万人 昨年580万人増

 

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