週間国際経済2025(11) No.417 06/24~07/07

今週の時事雑感 06/24~07/07

トランプ減税のトレードオフ

わざわざ独立記念日の前の7月3日、トランプが「1つの大きく美しい法案(OBBB;One Big Beautiful Bill )」と名付けた法案が米下院を通過した。もちろんマーケットは大歓迎だ。2017年のトランプ減税は今年末に期限が来て失効し、このままだと大規模な増税になってしまうからだ。

しかし、ちょっと待って欲しい。いうまでもなく減税は歳入減なのだから、なんらかの歳出削減か財政赤字増を伴う。何を得て何を失うかのトレードオフだ。より正確には誰が何を得て、誰が何を失い、全体としての得失を問わなくてはならない。

はじめにぼくの結論を言わせてもらうと、このOBBBは最悪の政策選択だ。なぜなら第一に、そもそも2017年トランプ減税は逆進性が強く(富裕層優遇)、これが所得格差の一因となってきたが、その恒久化によって経済格差は拡大・固定化される。しかも歳出削減が低所得者にしわ寄せがいっている。第二に、巨大な公的債務負担だ。独立財政機関である米議会予算局(CBO)によると、OBBBは10年間で3.4兆ドル(約490兆円)の財政悪化要因となる。これはコロナ・パンデミックで現金給付した救済計画法の再生悪化規模約1.8兆ドルの2倍近くに相当する。そこまでして向こう5年間の実質経済成長率の年平均押し上げは0.1%にとどまると試算されている。

第三に、この大規模減税の財源だ。まず低所得者向け給付カットが1兆ドル、低所得国への支援も打ち切られた。温暖化対策に関わる歳出削減で脱炭素に急ブレーキがかかる。そしてこの減税を関税で補おうとしているために、トランプ関税はディールではなくなり、一方的な通告となる。国際貿易が縮小し、アメリカでは輸入インフレ圧力が高まる。そしてこの関税も実質的に消費者負担となり、それがまた逆進性が強いのだ。

第四として、これらの結果、ドルの信認が大きく損なわれる。それが国際金融市場に与えるリスクに備えるためのコストがまたのしかかる。第五に、この法案を通すためにトランプは共和党議員に対してあからさまな恫喝を加え、良識的な議員がこれに屈した。イーロン・マスクの新党の影響は予測不能だが、いずれにせよ中間選挙に向けてアメリカ議会が正常に機能するとは思えない。

往々にしてポピュリストは、その支持者たちの利益を代表しているわけではない。ポピュリストとその支持者との関係は、コトラーの入門書の言葉を借りれば「ターゲット・マーケティング」の結果だ。かれらはSNSを通じて「想定顧客層」を見つけ出し分析し、自らの立ち位置を決める。コトラー流と決定的に違うのは、このポピュリスト・マーケティングでは嘘や誇張が特徴的だという点だ。現状認識に嘘と誇張が溢れているのだから、ポピュリストの公約は政策として実現することができない。なによりじつは、その公約はかれの支持者の利益にもならない。ぼくはここで日本の参議院選挙について語っているのではない(もちろん参院選が例外的だとは思わないが)。なによりトランプは、典型的なのだ。トランプはアメリカの「忘れられた人々」、中間層から脱落した低所得者層に寄り添うヒーローとして強固な支持基盤を獲得した。ターゲット・マーケティングに成功したのだ。

さて、そもそも2017年トランプ減税とは何だったのか、だ。所得税の最高税率を39.6%から37%に引き下げ、相続税や贈与税の基礎控除額を倍増させた。この富裕層優遇税制の恒久化は、はたしてトランプ支持者の利益なのだろうか。でもトランプは、これをMAGAに約束しているのだ。MAGAでなくても、ぼくでも思う。所得が最も高い階層の所得税を2.6%上げて元に戻せばいいし(37%→39.6%)、かれらの相続税や贈与税の基礎控除額などを半分に戻せばいいと。大統領選時のハリス陣営の公約も、この富裕層優遇部分の見直しだった。

それにしてもこの富裕層減税、2017年トランプ減税では財政悪化規模が1.4兆ドルだったものが、OBBBでは同じ減税幅なのに3.4兆ドルと膨れ上がっているのはなぜか。これはこの間GDPが1.5倍になったこと、そしてそれだけ富裕層の所得が急増したことの表れだ。だからかれら富裕層から税金を取って、それを再分配してこそMAGAの利益だろう。というか、そもそもそれが、財政政策というものだ。

もちろんトランプ減税が失効すれば増税になる。アメリカでは富の30.8%を上位1%が保有し、下位50%は2%分しか持っていない。富裕層への増税は株価も下がるし景気も下押しされるだろう。かりにそうなればそれでFRBは遠慮なく利下げできるだろうから、住宅ローン、カードローン、学費ローンなどの返済負担は軽減される。景気下押しといっても、減税を続けた経済成長率押し上げ効果は0.1%程度だ。そのうえエール大学予算研究所の試算では、所得下位2割は所得が2.5%減るという(所得上位2割層の所得は2.4%増える)。

経済成長率の押し上げ押し下げでいえば、興味深いのがアメリカン・エンタープライズ研究所の報告だ(7月4日付同上夕刊)。トランプ政権が進める強硬な移民政策によって2025年のGDP成長率が0.31~0.38ポイント低下すると予測している。移民の流入が止まれば労働供給が滞り、個人消費も鈍化するからだ。ポピュリストにとって、減税と移民排斥は人気のセットメニューだが、それが誰の利益なのか冷静に考える必要がありそうだ。

さらに具合の悪いことにトランプは、共和党を説得するために減税のための歳出減として、低所得者向けの公的医療保険「メディケイド」に制限をかけて、給付を1兆ドル削減した。CBO(米議会予算局)は、これで医療保険のない人が2034年までに1600万人増えると試算している。バーニー・サンダーズ上院議員が「今回の富裕層減税は、低所得層への死刑宣告だ」と強く批判しているのはこの点だ。

するとトランプは、MAGAへの配慮もあるのだろうし、そもそも減税は延長だから新たな減税実感はないことも心配してか、「チップ収入非課税」を思いついた。まったく質の悪いターゲット・マーケティングだ。そもそもチップ労働者は全労働者の2.5%程度で、その37%は所得税を払うだけの収入がない。しかもこちらは2028年までの期限付免除だ。残業代の課税廃止も含めて減税規模は1200億ドル程度、それをトランプ政権(レビット報道官)は「米国史上最大の中間層への減税」と言って憚らないのだ。

次にOBBBで歳出削減の標的となったのが、気候変動対策の約72兆円だ。北米産EV購入時の税額控除の打ち切り、再生エネ補助金の縮小(税額控除を2027年までに短縮)などがそれだ。7月6日付日本経済新聞では「脱炭素にブレーキ」としたうえで、この分野での「中国の優位招く」とアメリカの競争力低下を指摘している。

ここで見落としてはいけないのが、アメリカ国際開発庁(USAID)の大幅予算削減だ。イーロン・マスクに丸投げした政府効率化省(DOGE)による歳出削減、その標的にされたUSAIDだが、その全プログラムの80%以上が打ち切られた。国際医学誌ランセットでは、このUSAIDの事実上解体によって5年間で1400万人以上が死亡する可能性があるという論文を掲載した。アフリカ諸国が最も深刻な影響を受け、5歳未満の子ども450万人がそこに含まれるという。また国連世界食糧計画(WFP)への支援を停止したことで、2700万人飢餓に陥る可能性があるとも指摘されている。アメリカのソフトパワー、アメリカは世界に人道的支援と民主主義をもたらそうとしているという信頼が、腐朽する。

これも、富裕層の所得税率を2%ちょっと増税しないことと引き換えに、無残にもうち捨てられたトレードオフなのだ。

トランプは4月27日、SNSでこう投稿した、「関税が導入されると多くの人の所得税が大幅に減税され、場合によっては完全に廃止される可能性がある」と。トランプ減税が富裕層優遇にとどまらないとする、戯言だ。過去70年間、アメリカの歳入全体に占める関税の割合が2%を超えたことがない。

しかし冗談では済まないのが、OBBB議会通過には関税引上げによる税収増が見込まれているということだ。つまりこれでトランプ関税は、対象国とのディールではなく、トランプ減税の財源として譲歩できないものとなってしまったのだ。だから交渉ではなく「手紙」で済ましている。今に始まったことではないが、その数字(税率)も適当だ。

さて、このトランプ関税は貿易相手国からの日用品を含む輸入品すべてに課される。そしてその税金は最終的にアメリカの消費者が負担することになるから、事実上大型間接税の効果をもたらす。そしてその間接税も逆進性(低所得層ほど負担が大きい)が極めて強いのだ。ようするにトランプは、逆進性の強いトランプ減税を恒久化し、その財源としてやはり逆進性が強い関税をあてるというのだ。それがトランプのMAGAに対する公約なのだから。

ポピュリストは、その支持者たちの利益を代表しているわけではない。むしろかれらの利益に反している。それも民主的方法で。

はじめに示したぼくの結論の第四、ドルの信認と第五、アメリカ議会の非正常化は、相互に連関している。そしてトランプ減税とトランプ関税は、ドルの信認に大きく関わってくる。この問題についてはまたあらためて、あるいはことあるごとに、問い直すことにしよう。

日誌資料

  1. 06/24

    ・米、危うい「限定介入」 イランの核放棄見えず 空爆「完全破壊」は不明
    ホルムズ封鎖 市場身構え 原油5ヶ月ぶり高値 一時5%高
    ・米奇襲「フェイク」幾重にも 数ヶ月前からイラン攻撃準備 おとり爆撃機
    ・イスラエル・イラン停戦へ トランプ氏投稿「双方合意」24時間かけて段階的に
    原油急落、一時14%安 「停戦合意」で売りに拍車
    ・イラン、米軍基地を攻撃 カタールで、事前に通告 <1>
    ・英、国防費5%目標を支持 NATO首脳会議前に表明
  2. 06/25

    ・窮余のイラン、前面衝突回避 事前通告の対米報復 現体制の存続優先 <2>
    ・消えた「有事の円買い」 中東緊迫で逆の動き 目先1ドル=150円台の見方も
    ・「核開発、数ヶ月の遅れ」イランへの空爆 米当局が初期評価 メディア報道
  3. 06/26

    ・核施設、見えぬ「完全破壊」 イラン濃縮ウラン搬出と米分析
    ・NATO加盟国「守る」 トランプ氏、態度軟化 国防費5%要求実現で
    NATO首脳宣言、中国触れず ウクライナ支援継続へ トランプ氏、武器供与検討
    ・ガザ停戦、カタール動く イスラエルとの協議仲介 イラン合意が契機に
  4. 06/27

    ・ESGマネー、世界で逆流 1~3月 欧州で初の流出超 企業の脱炭素に遅れ
    ・EU、TPPと貿易機関 欧州委員長が提起 WTOを代替
    ・米、連邦判事15人を提訴 移民送還差し止め受け
  5. 06/28

    ・世界株4ヶ月ぶり最高値 「トランプ不況回避」期待 日経平均4万円回復 <3>
    ・法人課税、国際協調綱渡り 世界の「最低税率」15%ルール G7譲歩、米は例外に
    ・大統領令の差し止め制限 米最高裁 トランプ政権に追い風
    LGBTQ授業の欠席容認 米最高裁、信仰理由に
  6. 06/29

    ・ユーロ、ドル代替へ布石 「欧州債」発行増で安全資産目指す <4>
    EU、国防費財源に 今年残高25%増見通し ドイツ、なお慎重姿勢 EUの債務引き受け警戒
  7. 06/30

    ・米へのデジタル税問題視 トランプ氏 カナダと通商交渉「即停止」
    ・中国、日本の水産物輸入再開 処理水放出で停止 10都県除く
    ・米「バンカーバスター」核施設攻撃 地下深くイスファハン断念か CNN
    ・コンゴ紛争和平合意 米が仲介 希少鉱物にらむ
    ・対イラン攻撃「戦果」で溝 IAEA、数ヶ月で再開可能 米、数年遅れ
  8. 07/01

    ・日本株高けん引役交代 エンタメ9社時価57兆円 「関税フリー」強みに <5>
  9. 07/02

    ・「為替ヘッジ」が招く米ドル安 1~6月10%下落 不確実な政策が影
    ・トランプ氏「日本並み低金利に」 FRB議長に手描きメモ送付 利払い抑制求める
    ・崩れた米国債「安全神話」 財政悪化警戒で資金流出 金へ分散投資広がる <6>
    ・米の対外援助打ち切り 1400万人死亡リスク 医学誌指摘 感染症増加など懸念
  10. 07/03

    ・米ベトナム、関税交渉合意 トランプ氏「輸入20%、輸出0%に」
    ・「大学資格満たさず」 コロンビア大に警告 米政権、圧力強める
    ・イラン核「1~2年遅れ」 米国防総省 施設空爆の評価を修正
  11. 07/04

    ・米雇用14.7万人増 市場予想上回る 失業率4.1%に低下
    ・消費支出、実質4.7%増 5月、2ヶ月ぶりプラス 車購入費増える
    ・プーチン氏、譲歩示さず 電話協議 トランプ氏、「停戦、進展なし」
  12. 07/05

    ・米財政悪化、10年で490兆円 減税法案成立へ 関税収入で補えず <7>
    ・中国、デフレ抑止 通販統制 ネット上過剰値引き禁止 小規模店の利益確保へ
    ・米減税・歳出法に署名 トランプ氏 反対派説得、求心力高める
  13. 07/06

    ・米 脱炭素にブレーキ 減税法成立、温暖化対策を72兆円削減 <8>
    EV普及、前政権目標の半分 太陽光・水素、補助金条件厳しく
    ・参院選 SNSの主張政策動かす 「外国人規制」投稿4割増 一部政党の訴え増幅
  14. 07/07

    ・マスク氏「アメリカ党結成」 Xで表明 来秋議会選で擁立探る
    トランプ氏に揺さぶり 議席拮抗 少数でも影響力
    ・BRICKS首脳宣言(リオデジャネイロ、6日)イランに攻撃「重大な懸念」表明
    ・実質賃金5月2.9%減 5ヶ月連続マイナス コメなど高騰響く
※PDFでもご覧いただけます
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