週間国際経済2021(38) No.288 11/14~11/20

今週のポイント解説(38) 11/14~11/20

なぜ日本の財政支出は賢くないのか

1.過去最大の経済対策

岸田政権は、11月19日の臨時閣議で財政支出が過去最大の55.7兆円となる経済対策を決めました。これに対する20日付日本経済新聞の評価がとても辛口だったことが印象的でした。経済部長の高橋さんは「これで日本は変わるのか」と厳しく問い詰めます。

高橋さんは言います。「未来を切り開くのか、過去に戻るのか、どちらを向いているのか分からない経済対策だ」、「過去最大という見かけにこだわり、使い道をよく考えないまま額を積み上げたとしか思えない」。記事の見出しもズバズバと切り込んでいます。「見えぬ賢い支出」、「成長投資、米欧に劣後」、「ツケは将来世代に」といった具合です。

日本経済新聞は保守的で大企業よりの新聞だとされています。それだけこの過去最大の経済対策が、保守層の危機意識ともズレがあり、何より世界的課題からも立ち遅れているということを示しているのだろうと思います。

2.新しい資本主義

岸田さんは、自民党総裁選でこの「新しい資本主義」という言葉を繰り返していました。よほどお気に入りだったのでしょう。そのわりには、その意味するところについてはほとんど説明してくれませんでした。なにやら「分配重視」らしいのですが、成長なく分配できるのかと突っ込まれると「成長と分配の好循環」とか、ますます曖昧になっていきました。

今回の経済政策でようやくその具体的な内容が示されました。それが例の18歳以下への10万円相当の給付金、これが2兆円。マイナポイント第2弾が2兆円。看護師、介護士、保育士らへの賃上げ3000億円。小さいですね、遅いですよね。この too little too lateぶりのどこが「新しい」のでしょうか。

これ以外にも新型コロナ対策として、住民税非課税世帯への10万円給付金が1.5兆円程度。バラマキというほど威勢の良いものでもなく、パラパラマキってとこでしょうか。そもそも2020年度一般会計予算の未消化分は30兆円に上ります。なぜもっと早く分配しなかったのでしょう。衆院選の選挙公約用に取っておいたのでしょうか。

今のとこと、これが「新しい資本主義」の分配です。「成長と分配の好循環」の分配です。それでは「好循環」のための成長戦略はどのようなものでしょう。

3.米欧にくらべてケタ違いに小さい成長投資

55兆円という財政支出規模は、アメリカやヨーロッパと比べてもひけをとりません。むしろコロナ対応の事業規模の対GDP比は過去のものを含めると米欧各国と比べてダントツの大きさです。謎なのは、にもかかわらず脱炭素・デジタル・リスキリングといった成長戦略への投資は、ケタ違いに小さいのです。

上の一覧表を見てください。脱炭素では電気自動車や充電インフラ導入に400億円、デジタル化ではデータセンターの地方分散支援への基金500億円、リスキリング(学び直し)には3年で4000億円。これらすべてを合算しても「新たなGo to トラベル事業」1兆円にはるかに及ばないのです。

再生可能エネルギーへの転換には送電網の整備が欠かせません。アメリカなどはこれに7.4兆円としているのに、今回の日本の経済対策では調査費用を計上するにとどまりました。これでは、やる気がないとしか思えません。日本のデジタル化は、世界で周回遅れです。その危機感がまったく感じられません。

こうした脱炭素・デジタル化という産業構造の転換をともなう成長戦略には、人材開発としてリスキリング(学び直し)支援が欠かせません。ただでさえ日本の労働生産性は先進国で最下位レベルに落ち込んでいるのです。それでも日本は職業訓練にかける公的支出のGDP比は主要国中最低水準で、アメリカの3分の1、ドイツの18分の1にとどまっています。そのうえで、バイデン政権が成長産業の労働力開発へ11兆円を投じようとしているのに対して、岸田さんは3年間で4000億円、しかも中身はこれからだそうです。

4.財源は赤字国債

この過去最大の経済対策の財源について岸田さんは、「赤字国債はじめあらゆるものを動員する」と言うのですが、赤字国債ではない「あらゆるもの」とはいったい何ですか。増税ではないことは確かなようです。しかしそれは増税の先送りに過ぎないのではないですか。

バイデン政権も法人税引き上げや富裕層に対する所得税の最高税率引き上げを要求して、議会で激しく論争しています。この合意が取れなければ財政支出を削減せざるを得ないのです。それが議会制民主主義だからです。

EUでも財政規律の見直しが始まっています。EU加盟国はGDP比で「財政赤字3%以内・公的財務残高60%以内」に押えることがルールです。しかしコロナ禍で財政支出が膨らみ、ユーロ圏の公的財務残高はGDP比で100%に近づいています(日本は250%を超えています)。そこでEUは財政規律を見直し、環境投資などは債務に算入しないという提案をしています。環境など「将来投資」は例外にするという発想ですね。

例えば日本と同じく公的債務問題に苦しむイタリアは、水素ステーション整備などに3兆円、次世代送電網に3兆円を投じますが、その結果格付け会社のS&Pは、これがイタリアの成長を押し上げ財政健全化が期待できるとして格付け見通しを1段階引上げたそうです。

日本ではどうでしょう。低成長・債務拡大という「将来投資なき将来ツケ回し」になっているのではないでしょうか。

岸田政権は「分配重視」というのですが、どうやら政府が借金をして配ることを「分配」と考えているようです、そもそも政府の機能は「分配」ではなく、所得の格差を是正するための、つまり高所得から低所得への「再分配」です。

日本では、いくら赤字国債を増やしても「日本は心配ない」と考える専門家や評論家が増えてきました。アメリカやヨーロッパが心配しているのに、どうして日本だけが例外なのでしょう。「どんなに財政赤字が増えてもデフレだった」と、論破を試みるかたもいます。でもそれは世界がデフレだったという前提条件があってのことで、世界がインフレ圧力にさらされている現状から目を背けることはできないと思います。

前回「出口が見えないアベノミクス」(⇒ポイント解説№287)で見たように、主要国中央銀行は金融緩和からの転換に踏み出しています。日本だけが「国債は日銀が買ってくれる」から政府は利子のない借金を続けられる、そんな考えは一時的な気休めだと思います。

5.なぜ日本の財政支出は「賢くない」のか

かつて日本にあって失われたものを3つ上げたいと思います。

ぼくはまず、日本の官僚機構の劣化を感じます。かつての日本の官僚ならばこんな経済対策を書かなかったと思います。顧みれば安倍政権で官僚人事を首相官邸が握り、官僚たちのなかには忖度がはびこり、公文書は隠蔽、破棄、著しくは改ざんまでしてきました。官邸の思いつきをそのまま立案し、顔色をうかがう人たちばかりが出世します。まともな役人たちの矜恃はどれほど傷ついたことでしょう。

11月23日付日本経済新聞には「崩れゆく官僚のモラル」という記事がありました。元官僚は「官僚に求められる仕事が小さくなり、政策立案機能が落ちた」という指摘がありました。議員の挨拶文を書かされる、無駄な資料を作らされる、若手は「そんな霞ヶ関から離れていく」と。国家公務員総合職の申込数は14%以上減り(減少率は過去最大)、19年度に辞めた20代キャリア官僚は13年度の4倍(87人)になったといいます。

二つ目は、労働組合です。政府が企業に賃上げを要請しても、賃金は上がりません。賃金が上がらなければ消費も増えず、生産性も向上しません。やはり賃上げは、労働者の団結と交渉力にかかっています。

小泉構造改革以降、日本の非正規雇用比率は急上昇し、いまや全就業者数の4割に達しています。組織率が急減する正規雇用者労働組合も、リーマンショック以降は雇用の保全に汲々とし、賃上げや労働環境の改善要求を差し控え気味です。日本企業全体がブラック化し、低賃金長時間労働では消費は冷え込み、少子化は加速し、リスキリングどころではなくなり、企業の生産性向上は望むべくもありません。

最後に三つ目は、野党の存在感です。どの野党が、ではありません。だって今回の衆院選でも公約は、そろいもそろって給付&減税でしたから。弱体化した野党たちは、「今、票にならない政策を公約にできない」のです。それでは政党の存在理由が怪しげになります。

なぜ日本には、例えば財政再建、脱原発、地球環境、移民政策、ダイバーシティ、善隣友好外交などを断固として唱える政党がないのでしょう。みんな分かっています、それでは議席を獲得できない今の日本の選挙制度にも問題があることを。

ここであげた3つはどれも、民主主義の問題です。議会制民主主義における議会とは「税の集め方と使い方を納税者の代表が熟議する場」です。これは財政の賢さは、その国の民主主義のレベルに相応するということを意味します。なぜ日本の財政支出は賢くないのかと問うならば、日本の民主主義の危機にしっかり向き合うことから始めなくてはならないのでしょう。

日誌資料

  1. 11/15

    ・COP26閉幕 石炭火力の段階的廃止→「段階的削減」土壇場で修正
    土壇場でインド反発 先進国主導に資源国反発で譲歩
    ・GDP年率3.0%減 7~9月 2期ぶりマイナス 個人消費落ち込む <1>
    予想超すマイナス幅 政府目標危うく
  2. 11/16

    ・EU、域外インフラ支援 5兆円超 中国「一帯一路」に対抗
    ・日本石炭火力へ風圧一段と 発電時CO?、英の2.1倍 輸出競争力低下に懸念
    ・米1兆ドルインフラ法成立 大統領署名 バイデン氏「中国より早く成長」
  3. 11/17

    ・米中首脳、台湾・人権で応酬 オンライン協議 対話継続は一致 <2>
    ・輸出、10月9.4%増 自動車36%減 輸入は26.7%増 貿易赤字3ヶ月連続
    ・原油価格「上昇一服の兆し」 IEA見解 増産で需給緩和
    ・「個人崇拝禁止」消える 歴史決議 中国。集団指導体制に転機
  4. 11/18

    ・外国人就労「無期限に」 入管庁検討 熟練者対象、農業など全分野
    「選ばれる国」へ支援急務 特定技能、家族帯同も拡大 日本語教育など体制整備
    ・米議会対中報告書、中距離ミサイル配備「同盟国と協議を」 台湾有事、日本と備え
    ・ユーロ、対ドル安値 1年4ヶ月ぶり水準 米経済の先行き期待でドル買い
    ・日米韓、共同会見を中止 次官級協議後 韓国高官の竹島上陸巡り日韓対立
  5. 11/19

    ・NY原油、一時4%安 1ヶ月半ぶり安値 供給過剰の観測
    ・米、外交ボイコット検討 北京五輪、バイデン氏表明
    ・熱帯雨林の消失最大 アマゾン、06年以降で 火災・違法伐採響く
    ・消費者物価0.1%上昇 10月 エネルギー高騰、押し上げ
    ・トルコ、3ヶ月連続利下げ 通貨安加速 インフレ、貧困層直撃
    ・在日米軍負担増額へ 政府 共同訓練などに充当要請
    ・防衛費7000億円計上へ 補正予算案で最大 哨戒機や機雷購入
    ・バイデン氏「台湾防衛」発言、確信犯か 有事、日本の安保にも直結
  6. 11/20

    ・経済対策 見えぬ「賢い支出」 最大の55兆円 分配重視 <3> <4> <5>
    岸田首相「赤字国債など総動員」 ツケは将来世代に 低成長・債務拡大続く恐れ
    成長投資、米欧に劣後 脱炭素・デジタル乏しく2割止まり 学び直し支援も後手に
    ・FRB首脳「緩和ペース加速を」 インフレ警戒、言及相次ぐ
    ・クアッド「日本で来年」 米高官「日米豪印の協力深化」
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